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かなり突っ込んだ議論になっています。学校関係者からしたら耳の痛い話ばかりでしょう。変われない学校。変わろうとしない学校。サラリーマン化した教員。疲弊しきった教員達。現状の教育現場には様々な弊害があります。私学だから良質とは限りません。

 

<公立高校。。>

基本的に公立学校は既存の原資を守ろうとします。これでは公立学校は変われません。特に中学と高校との教員の待遇差は明かです。中学の教員にはなりたくないと明確に言い切る高校の先生も多いのは事実です。(市立、県立とでは教育方針が明かに異なります。)

 

学歴と会社(社会)においての実績は別物と考えて方が良いでしょう。実社会には答えの決まった問題など皆無だからです。基礎を固める上での暗記教育はある程度必要だとも考えます。(過去の歴史に学ぶ事、歴史を知る事は有益です。)

 

<教育を間違えると。。>

一時期、フィンランドの教育が絶賛された時期がありますが、現在は急ぎすぎた教育改革によってむしろ、学校が荒れています。2000年代のPISAの成績が良かったのは、それまでの従来型教育が機能していたという証でもあります。事実、教育改革を実施して制度を緩めてしまったフィンランド政府は教育の失敗を認めています。

 

学校は実験場ではありません。

 

note

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同時に、モラル、人間性、を高めていく事は、教育において大切な項目です。私学では点数に、公立では、人間性といった観点に、それぞれ分かれる傾向にあります。(特定のトップの進学校は除きます。)

 

<教育の最終的なゴールとは。。>

教員が単なる教えるマシーンでも困ります。一緒に働きたい。一緒に学びたい。と感じさせてくれる人材。他者への共感力があるような人材の輩出に努めないと、社会が崩壊します。一人で何でもかんでもやれるような仕事は近年益々少なくなってきました。協調性、コミュニケーション能力が求められる所以です。(現代社会はかなりの部分は、テクノロジーがカバーしてくれます。)むしろ、世代間の認識の格差の方が問題でしょう。(意思疎通言語そのものが異なります。新しい価値観の出現に年長者は疎い。)若い生徒達を受け止められるのは、やはり若い先生達です。学校には若い先生が補充され続ける事が望ましいと考えます。

 

<必要な人材とは。。>

これからの社会は、得意な分野の人を集めて指揮を執れるようなコンダクターの育成が急務です。そのためには、しっかりと社会と向かい合う必要があります。現実社会を知る必要があります。情操教育と知識教育は教育の両輪です。どちらか一方に偏ってもいけないと考えます。

 

<テストの点数による学力判定。。>

一方で、点数(テスト)による採用はある意味公平です。学歴バイアス。人の好き嫌いによるバイアスを排除できるからです。広く、公平に人を集めるというシステムの構築は、昔からの課題です。評価の基準は公平に行われるべきでしょう。

 

<昨今は。。>

少子化によって、昔なら学年一番しか入社できなかった企業でも、簡単に入社できるようになってしまっているのが現実です。企業の採用基準も下がってきています。

 

昨今では共通テスト抜きの推薦型入試も増えました。昔に比べて、大学入試のハードルは遙かに低くなっているのが現実です。(脱競争社会。)昔に比べて基礎学力が低下していませんか?心配になります。

 

<現場は大変です。。>

従来型教育の見直しは必要ですが、同時に現場の先生方の意見も聞いてあげてください。定員割れを起こした学校をサポートするのがいかに困難か実際に経験しないと、ご理解いただけないでしょう。勉強以前の問題です。現在、各都道府県でもクラス削減。定員数の削減など様々な策を実施するようになりました。今後加速される事が予想されます。何らかのサポート体制は必要でしょう。

 

NHK

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少子化は、何十年ま前から言われていて、何とかしないと言われ続けて結局何もしてこなかった現実があります。(大人の事情というものがあるのでしょう。)行政府については、現場がどうこう言える立場にはありません。それぐらい文部科学省の学校に対する裁量権は強い。日本の教育も重要な転換期に突入しています。文部科学省も変わる必要があります。(現場に求める理想が高すぎると感じています。)

 

<今は昔。。>

私達の若い時は、教育無償化などという話は聞いた事がありません。全て教育費は支払い続けてきました。(子供の大学までの費用も)今もお金を支払って自ら学ぶために通信制大学(院)に通い続けています。お金がかかっていると、人は真剣になります。期限が切られていると必死になります。勉強は必死にならないと身につきません。自ら苦労して獲得するスキルなのだと考えています。(人は追い込まれると必死になります。)その部分さえしっかりしていれば、どんな大学を選ぼうがどんな道を進もうが道は開かれます。(昔は優秀なのに家が貧しくて大学に行けない生徒が大勢いました。)

 

個人的には、教育に対価は必要だと考えます。価値の無いもの(目的のない物)など学ぶ気にもなれないからです。(価値創造は常に必要です。人間の持つ本能です。=これが無いとモチベーションが維持できません。)実は人生は18才からの方が長い。教育は長期戦です。

 

<人生は難しい。。>

日本の教育については、再チャレンジ出来る環境は作ってほしいと考えます。海外では働いてから大学に行って学び直す人が多い。その意味ではフィンランドのマリン首相が2023年に選挙に敗北して退陣してしまった事が残念に思えます。

 

フィンランド

  ↓ 2023年4月

 

世界の流れは、常に変化します。フィンランド教育、フィンランドの文化の象徴のような方がマリン元首相でした。

 

  ↓ 2020年

 

首相になった時は、とてももてはやされたものです。家が貧しくても学校が無償であれば、学ぶ機会も増えるのは事実です。フィンランド教育の良い点でしょう。北欧の教育においては職業系の学校の人気が高いのも特徴として上げられます。(フィンランドはアングロ・サクソン型教育手法とは異なる教育を実施続けていきました。競争を排除しています。)

 

教育文化は、その国の歴史の影響が色濃く反映されます。日本は日本型教育で良いと考えます。どの国も教育改革には苦しんでいます。教育に正解はありません。日本の特徴を生かした教育を続ける事は決して悪い事では無いと考えています。