<理科教育。>

昔は、学校で百葉箱が有りました。継続して、気圧、温度、湿度を測定し続ける事をアナログ的に記録していました。それらを使って天気図を書き、データを収集して整理し、図式化する(可視化する。)事を、手書きで、あるいは、時にラジオからの聞き取りで耳から情報を得るという訓練をしていたように記憶しています。昔は、学校でウサギを飼っていたり、はとを飼育もしていました。動物との接点も多かったように思います。理科には実験的手法が不可欠です。それを効率的に学ぶ良い経験だったと思います。(今では学校で天気図すら書かないでしょう。特に高層の天気図など、気象予報士ぐらいしか勉強する機会がないかと。。)

 

かって、この国は、小学校で、理科教育の基礎が出来ていたように思います。理科の基礎は継続した観測の上に成り立っていると考えるからです。観察、観測、考察は、理科にとって基本をなす考え方だと思います。自然と距離を取ってはいけないし、現在ある自然環境を人間の都合で変えてはいけなものだと感じています。(共生が好ましい。)自然から謙虚に学ぶ姿勢=理科だと考えています。私の子供が小学校に上がった時に空っぽになった百葉箱を見て、この国理科教育終わったと感じました。

 

学校の校内にメタセコイアがあるから探してごらん。と言われて様々なシダ類を観測しまくった時もあります。昔の理科の教員は偉かったと思います。(実践教育者です。)更には、私の当時の先生は「IPSの実験」を日本において実践しており、私も個人的に「IPSの実験」の本は購入して勉強しました。(当時高かった記憶があります。)当時のアメリカでも理科教育の崩壊は深刻視されており、IPSの実験の他にも様々な理科教育啓蒙教科書が出ていた当時です。(今となっては古書で知らない人が多いでしょう。)私にとっては理科教育の原点です。(常に学ぶ教員の姿は子供に取って立派なロールモデルになります。)

 

<やがて数理処理が入ります。>

中学になると、数理的処理が可能となります。二次関数を利用するようになります。物体の状態変化を学習するようになります。昔はミョウバンの結晶を、理科の先生にお願いして、放課後作りにいったものです。放課後に友達を集めて、皆が集まりやすい家にお邪魔して、氷を使って塩の溶解液を冷や実験をしたものです、その特性をグラフにして情報を共有しました。(昔は応用に、様々な実験が載っていました。)実験は理論通りにはなりません。何らかの外乱などによって測定結果が仮説と異なる事があります。翌日、理科の先生に何故そうなったのか?相談します。数理統計手法が使えると、研究レベルの考察ができるようになります。(中学生の段階でも可能ですが。。それを指導できるレベルの教員が現場に何人いるのかは疑問です。)

 

理科は大好きでした。小学生の時に学校の屋上でみた星空に感動した事が、現在の星好きになった原点です。

 

中学生からは、勉強する手段が増えます。選択できる本を自分で選べるようになるからです。(時に教科書と大きく乖離します。)教科書は一つの体系を形作ってはいますが、あくまで、ある仮説の元に作られた一つのモデルに過ぎません。自分で学習(研究)する時代の始まりです

 

出会いが全てです。私の場合は、中学校の時に理科の立派な先生に出会えたおかげで今日があります。

 

<望むこと。>

単純な観測の積み重ねからアノマリーが発見される事もあります。そんなに難しい事ではないと思います。「なぜ?」を考え続ける事が重要だと思います。やがて判る時がきます。そうすると更なる「なぜ?」が増える事になります。その人のライフが終わるまで疑問と自答し続ける事になります。個人的には、日本人に科学的思考は向いていると考えます。願わくば、学会や、医師会や、XXX会、教授会と言った狭い組織の中に縮こまるのではなく、多くの見識や知識が共有され、日本人全体が協力しあって、この国の科学技術を発展させれる必要があるでしょう。現代の研究は、より専門化し、より狭く、より深く研究を進める傾向があります。個人的には、横の繋がりが大切だと考えます。この国の未来は科学技術にかかっています。国民のレベルで、草の根レベルで、子供達の科学の根を育む努力は継続される必要があります。