朝から、色々と気が付いた事があったのでメモ程度に。。
①先日提出した放送大学のレポートの評価が昨日届いていました。
この教科の教授の授業はラジオ形式だったのでちょっとまとめるのが大変でしたが、オンラインの課題問題や小テストの作り方は好ましい作りとなっており、学習者の学びを十分支援する役割を果たしていました。私も参考にさせていただきます。学習者目線である事は重要です。(得てして、教える側の自己満足で終わる事が多い。プレビューは大切です。)教えるのでは無く、受講生に自ら学んでもらうような授業教材はとても参考になります。(ありがたい。)
ギリギリに提出したので参考文献の箇所に誤字が入ったまま提出していた事に自分ながら呆れています。(自己認識気力の欠如を感じます。。歳かな。。)
実は、訂正はしてあったのですが、ワードの画面を3~4枚スクリーンに出しながらの処理をしていたので、うっかり他教科のレポート提出の所に出しそうになって、慌てて入れ替えた記憶があります。そのため、校正前のレポート提出という、本来はあっていはいけない事態に陥っています。人間の記憶は曖昧です。
42インチ程度のモニターに4画面同時出力する位の作業エリアが必要です。自宅の24インチのモニターはもはや限界に来ていそうです。(その為の4Kなら活用する意味がありそうです。)ただ、、場所が、、
②Outlookメールの迷惑メールへの仕分け途中で、仕分け先が間違っている事に気が付きました。仕分けは、前に行った作業の内容が残っているので、流れ作業的に行うとどうしてもそのまま前のフォルダーに移動するといった悪循環に陥っています。迷惑メールのフォルダーの数字が増えないので、、あれっ?やらかした?と気が付きました。本来、確認作業のハズが単純作業として定型化すると自分の起こしたミスに気が付かない事があります。確認作業が流れ作業になっていたら要注意です。(決済書類への押印と同じです。)ボタンを押したその先には実世界が待ち構えています。ちょっとしたミスが事故に繋がります。
③先日、実家の母親に認知症改善の為低年齢用の知能テスト的な問題を解いてもらいました。私は声に出して文章を読んでもらうようお願いしましたが、頑として言葉に発しません。(自分の口から言葉を発して、耳で聞いて、自己確認する事は認知の基本です。)普段、人と会話する事が少ないので、本人にその事に気がついて欲しくてあれこれ色々と試みています。二人で同じ対象を一緒に正しいかどうか確認する作業はとても大切です。(自己認知の基本中の基本だと考えます。)結局先日は諦めました。文章を概念として認識するという行為は後天的要素が多く、学習によって獲得するという事実も判ってきました。(認知症になるとこういった概念が一切失われていきます。再度学習すれば獲得できますが、その事に本人が気がついていないと再現する事は困難になります。認知症改善は本人にその気づきを沢山させる事だと考えています。)
④youtubeで「有隣堂しか知らない世界」を見ていたら、又吉さんが出演されていました。実は、、この方の本は「火花」は読んでいませんが、、「花火」だと勘違いしていました。それぐらい、関心が無いことには人は勘違いしながら記憶するという事実に我ながら呆れます。(いよいよヤバいかな。。)基本、文学は純文学か古典本しか読みません。三島由紀夫が亡くなってから一気に文学には興味を失っています。むしろ、海外の若手(先進国でない国)の作家に興味があります。独特の活力があり、従来にない世界感があります。先進国が失ってしまった人間が持つ素の描写は偽りの無いものだと思います。
⑤最近、新しい自作PCで作業しています。以前はAtokを使う事が多かったのですが、GooglやMicrosoftの辞書も試して見ました。。結果は見事玉砕です。思ったような変換してくれません。Atokも長くつかうとトンデモ無い変換をするようになるので困っていたのですが、日本語に関しては、「自然科学系」「医学系」「数学系」「物理系」「政治・経済系」・・沢山コーパースがあった方が良いと思いました。おかげで誤字を沢山量産しています。単純に使い方を知らないだけなのでしょうが、推敲する時に、余りにつまらない誤字が多いと絶望感を感じます。人の特定の癖を自動修正してくれる辞書の登場を待つしかありません。(Goole当たりはやっていると思うのですが。。)文章作成エディタで書きっぱなしは危険。面倒でも何度でも推敲をする事は大事です。(それでも誤記が発生します。)正直、現在の悩みの種です。
⑥同じくyoutubeを見ていたら「グリホサート」の質疑を衆院農林水産委員会で共産党の議員の質疑の画面が突然出てきました。「グリホサート」。。「ラウンドアップ」と言った方が早いでしょう。この動画2021年4月14日付けです。現在各国で使用禁止になっている除草剤です。質疑の中で、いくつかの論文を根拠に論旨を進めておられました。最近の有機栽培指向や食に関心を持つ人が多い事を裏図付けしています。ただし、その論文は正しいですか?という根拠性には触れていません。最近、論文ばかり読んでいるので、、ちょっと思考が偏っているかもしれませんが、論文は論文にしかすぎません。仮説を立て検証できました。有意が見られると言った程度です。(もっと言うと数が多いと論文は有利に働きます。)2009年には理化学研究所が人工塩基対を作っています。その後実際に活用しています。現在は2022年です。正直手遅れと言って良いでしょう。(他にも日本の研究所でも枯れない稲穂とか一杯作っています。)1989年には日本の昭和電工が「トリプトファン事件」を引き起こしています。(この時は不純物が問題でした。死者も出しています。この時は事案が大規模に発生したので大変問題になっています。)0.01ppmの量を同定し継続的な観察を続け有意を出す。なかなか厳しいと思います。世界的な流れが右だから日本も右という意見の立て方は正しいのでしょうか?その根拠は?実際に自分で試しましたか?あるいは取材しましたか?で根拠性が変わってきます。多分、主張は正しいと思います。ただ、それがどの程度影響するのか?。では国産の小麦は大丈夫なんですか?の根拠性が乏しいと思います。意見を述べる時は、発言者も論文の趣旨を正確に把握できる位の科学的知識が要求されます。基本、農林水産省の技官の方は科学者やその道のエキスパートです。頭越しの主張を聞いていると。。違和感を覚えます。盲目的に論文を根拠とした論旨を主張するの事は避けた方が良いと考えます。(特に最近は多いと感じています。自分で論文を書いて学会に提出する訓練をする事をお勧めします。何回も言います。仮説でしかありません。正しいか正しくないかは科学的に証明する必要があります。)
-------------------- おまけ ----------------
特定のテーマについて、深く調べて結論まで論ずる作業は大切だと考えます。考えをまとめる作業になります。普段は気が付かない新たな発見があったりします。一番勉強になるのは、自分の主張性など何の根拠性も無いという事実です。であるからこそ、極力客観性を高め、誰が見ても判るように文章を作成する。記述する。発信する。は作法として必要だと考えます。人からの評価も大切です。自分で考えているようで、誰かの意見を代弁しているだけだったりします。
人間は、自己が自己によって正しく認識されていると思った瞬間が一番危険です。人は間違えます。概ねの主張には間違いが沢山含まれている考えて良いとも思います。多くの人の意見を聞いて、深い思考を何回も重ねるという習慣は長年続けています。直感も大切ですが、全てが直感で片付くほどこの世の中は甘いものでは無い事は経験から学んでいます。
科学の世界はカオスです。未だ未知の事が多い。私達は現在の科学技術の限界は知っておいた方が良いとも考えます。