MARK AKIYAMAのブログ -8ページ目

アレンジは世につれ、世はアレンジにつれ~吉田拓郎(4)

私のホームページ所収の「アレンジは世につれ、世はアレンジにつれ」に
加筆しました。今回は吉田拓郎(4)です。

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(昨日からつづく)
 さらに1972年の「たどりついたらいつも雨ふり」(吉田拓郎作詞作曲・モップス歌)では
A(8)-A(8)-B(12)-間奏(4)の後、初出のC(4)-間奏(8)があり、その後、最初のA-A-B
を繰り返した後、さらに初出のDが出て来る。

この曲の場合は全体にキーはA(メジャー)に固定されているが、D冒頭部分の同音連続はそれに至るまでのこの曲の雰囲気を一新した感じを受ける。
これに「ルームライト(室内灯)」、「マークⅡ」を加えた3曲は「楽曲構造の基礎」の教え通りでなければいけないという保守的な考え方では成立しない作りであり。吉田拓郎楽曲起用を決めたレコード・プロデューサに拍手を送りたい。

1975年には、かまやつひろし歌による「わが良き友よ」(吉田拓郎作詞作曲)というわかりやすい曲が大ヒット。この曲は楽曲構造的には特徴はないが、かえってそのレトロ感が受けたようだ。筆者の大学卒業式にはサプライズで、かまやつひろしが登壇し、この曲を歌ったので、個人的には印象深い。

これが契機となったのかどうかわからないが、この後、キャンディーズへの楽曲提供などの活躍場面では吉田拓郎独自の感覚による「付加的後接メロディー」は姿を消していく。
しかし、後年当たり前になっていくA―B-C-D-Eなどという楽曲構造拡大時代の草分けであったことは確かだ。 (この稿おわり)

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アレンジは世につれ、世はアレンジにつれ~吉田拓郎(3)

私のホームページ所収「アレンジは世につれ、世はアレンジにつれ」に加筆しました。
今回は「吉田拓郎(3)」です。

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(昨日からつづく)
「ルームライト(室内灯)」(由紀さおり・歌)ではA-B-Cという構成のメロディーが終わった後、「そのせいじゃなく 疲れてるみたい」という唐突な2小節のメロディーが現れる。
コード進行も♭Ⅵ(key:B♭)であるG♭(サブドミナントマイナーE♭mの代理)を突然登場させ、意外性を出している。

吉田拓郎は1970年、エレックレコードから「古い船を動かせるのは古い水夫ではないだろうw/マークⅡ」という意味深長なタイトルのシングル盤でデビューした、エレックレコードは作詞作曲の通信講座を母体とする会社で、今でいうインディーズである。実は筆者は大学受験浪人中だと言うのに、この通信講座の会員であった。

このB面の「マークⅡ」(吉田拓郎作詞作曲)では、A(8小節)-A(8)-B(4)-A(8)の2コーラスの後、間奏(=A)があり、その後、ABAでひと通り歌が終わったと感じさせたあと、付加的に初めて出るモチーフのメロディーが8小節(つまりC)が歌われ、曲が終わる。AABAの部分はkey:Emであるが、Cの8小節では平行調のGメジャーとなって新鮮さを出している。 (つづく)

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アレンジは世につれ、世はアレンジにつれ~吉田拓郎(2)

私の個人ホームページ所収の「アレンジは世につれ、世はアレンジ
につれ」に加筆しました。

(昨日から続く)
そのメロディーに倚音、いや刺繍音などによるテンション・リゾルブはほとんどないので、細かく音符にする必要はあまりないのだ。極端に言うと、同じ音程が続き、息継ぎが無い間は音符ひとつでもよいはずだ。
まあ、楽譜表記の考え方や必要性論議は本質としてはあまり重要ではないのだが、これらの作家が歌謡曲界に新しい空気をもたらしたことだけは確かである。
中でも、吉田拓郎による「付加的後接メロディー」(注*)は特に斬新であった。

吉田拓郎は1972年の「結婚しようよ」(吉田拓郎作詞・作曲・歌)の大ヒット後、楽曲提供依頼が殺到し、1973年、ついに由紀さおりが歌う「ルームライト(室内灯)」(岡本おさみ作詞・吉田拓郎作曲・木田高介編曲)で歌謡曲界への楽曲提供の端緒となった。
吉田拓郎は元々、アレンジャー的なサウンドづくりを行わない人ではあるが、メロディーの構成の点ではユニークな嗜好を持つ人である。

楽曲のひとつのまとまり、つまりコーラスが一通り終わった後、予期せぬメロディーが登場させるのが好きなのだ。1980年代後半以降、楽曲構成の拡大が進み、A-B-C-D-Eというように次から次へと新たなモチーフが出て来る曲が普通になったが、吉田拓郎が好むのは「予期せぬ新たなモチーフ」である。明らかにそれまでの一部、二部、三部形式などという理論では説明できない構成である。
この予期せぬメロディーを筆者は「付加的後接モチーフ」と呼ぶ。平たく言うと、「とってつけた感じ」とでも言えばよいだろうか?

                 注*「付加的後接モチーフ」
                 ・・・この用語は筆者が命名した言葉であり、音楽理論の                    世界で認知されているわけではない。



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アレンジは世につれ、世はアレンジにつれ~吉田拓郎(1)

私の個人ホームページ所収の「アレンジは世につれ、世はアレンジ
につれ」に加筆しました。

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*付加的後接メロディーの草分け~吉田拓郎(1)

1970年代はフォーク系シンガーソングライターが歌謡曲界に進出した時代である。常に新しい感覚を求めるレコード業界はフォークシンガー特有の弾き語り風の楽曲に目をつけたのだ。「弾き語り」とは弾きながら歌うことを指すが、どちらかというとメロディーラインよりも歌詞の内容を重視した作風は散文を読み上げているような歌で、文字通り「弾き語り」と言える。
吉田拓郎、谷村新司、小椋圭などである。

これらの作風について、よく言われるのが「それまでの一音符に一文字主義から脱した作り方」という論評である。しかし、それは正確な見方に当たらない。元々、この系統の作家に音符という概念が希薄であろうことは明確だからだ。それ以前の韻文を前提とした詞ではなく、敬体(です、ます形式)をも使った散文とギターのコードをつま弾きながらのメロディーが同時進行で作られる。

このようなフォーク系の曲を載せた楽譜集には十六分音符が羅列されているが、本来はそれほど細かく表記する必要はない。
そのメロディーに倚音、いや刺繍音などによるテンション・リゾルブはほとんどないので、細かく音符にする必要はあまりないのだ。極端に言うと、同じ音程が続き、息継ぎが無い間は音符ひとつでもよいはずだ。

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揺れ動く日本語 「『少子化、拉致』を担当する?」

出版社ロゼッタストーンのサイトで、
エッセイ「揺れ動く日本語」を連載しております。
毎月15日更新です。
今回は「『少子化、拉致』を担当する?」です。

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 毎回の組閣報道の中で、「少子化担当相」「拉致担当相」という
表現が気になる。前者は正式には「少子化問題担当相(大臣)」で
あるが、後者は「国務大臣(北朝鮮による拉致問題の早期解決を図るため
企画立案及び行政各部の所管する事務の調整担当)」という長ったらし
いのが正式名称である。 メディアでの表現は見出し文字数の関係で、
できるだけ短くした呼称で済ませようとする。
今回は事前報道で、「山谷氏、拉致担当相に」(朝日新聞)という見出
しが目についた。
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お時間がありましたら、この続きは

http://www.rosetta.jp/yure_japa/
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揺れ動く日本語