普段の湖や川そして海はとても好きですし
昔は親父が遠泳が好きで自分も付き合い
水泳は好きだったのですが・・・
僕は不死身と言われたシリーズで記事にしたように
陸の上では強いのですが水そして水際が怖いんです。
『湖』・・・学生時代の出来事です
一人乗りのボートで山中湖の真ん中辺りで寝ていた時
モータボートの横波を受けて転覆。
8月半ばといっても水は冷たくそして淡水で沈んでから
上に浮かびでようとしても水草が足に絡みつき・・・
中々浮上できませんでした。
その時周りに船が見当たらずこれまでかと思ったのですが
そのモータボートが旋回して来てどうしたの?って
聞くではないですか・・・おたくらのボートの横波で・・・
そこで助けられましたがお陰で風邪はひきました。
『川』・・・社会人になり鮎つりのころがしをしていた時
ころがしとは餌を付けずに針だけで引っかけるやり方です。
この時会社の同僚と相模川でしていた時で・・・
今では胸までピチッとしているのですが・・・
その頃の胸まである釣りなどで使う名前はど忘れしたのですが
身につける物は胸は開いていたのです。
そこで滑って胸のところから水が入り込み
身動き出来ずに溺れかけました。
同僚が助けに来てくれて命拾いしたのですが・・・
立ち上がったらひざぐらいの深さでこんな深さで
溺れ死んだら恥かしいと思ってしまいました。
こういうパターンはよくあるって聞いて安堵はしました。
海釣りや船釣りには時々行ってはいたのですが・・・
問題の『海』です。
会社の大先輩とかなり陸と離れた船渡しの磯釣りに
行かないかと川で助けられた同僚に誘われた時のことです。
湖そして川は怖いと思い残るは海しかないと思っていたので
一緒に初めて磯釣りに出かけたのです。
最初は波一つない穏やかな海だったのですが・・・
次第に泡が立ち波風が立って来た時・・・
万が一の事もあるからロープで体を岩に縛りつけた方がいいと
同僚が提案し縛り付けて正解でした。
そのうち磯釣りも常連の大先輩に魚が食いついた時
同僚が僕に竿を捨てて岩にしがみつけとの声が・・・
また岩に足を絡み付けろとも・・・
前方を見ると・・・
僕達にはとてつもなく大きく感じた波が
上から被さり両横から包み込むように
持っていこうとする凄い引きがあり
手を離しそうで必死に岩にしがみつきました
あぁ~という声が・・・
かすかに聞こえ・・・
一旦目を開けて二人を確認したのです。
大先輩だけが波に引きずりこまれる姿を目撃して
しまったのですが助けに助けられませんでした。
そしてロープはブチ切れていました。
同僚も僕と同様に目撃してしまったと・・・
ただ大波は一度しかなくまた静かな海に戻ってしまったのです。
大声を張り上げながら探し回ったのですが見つからず
帰りの渡しが来るまでは二人共無言で唖然としていました。
あまりにも突然の出来事で悲しすぎて涙も出てきませんでした。
ここでは潮流の関係で遺体はあがらないだろうとのことでしたが
一週間ぐらいで底引き船の網にひっかかり・・・
持っていた証明書で遺体確認が出来たとの事でした。
この時に初めて『命の重』みを感じました
その後仕事だけは恙無く出来たのですが・・・
その時のことが鮮明に夢に出てきて
しばらく病院のお世話に・・・
津波の後 ここで二度ほど奥尻島の30メートルの
津波を教訓にしていないとしましたが・・・
初めて封印されていたパンドラの箱の蓋が
開けられてしまったのがこの時でした。
僕達にとっては大きな波のように感じたあんな波でさえ
あんな凄い引きがあったということは・・
とんでもない引きだったんだろうなぁ~っていう感じでした。
この時の夢はアニメのように・・・
波が大口を開けて襲い掛かってきたり
事実と反して助けられなかったと言う自責の念があるのか
助けようとして指と指が触れ合う直前離れて
波に呑まれてしまうといった筋書きで
この時も病院通いがしばらく続きました。
今回も前回ほどは酷くはないとは思うのですが・・・
再びパンドラの箱の蓋を開けて
しまったような感じで・・・
今回はそのままズバリの姿が夢にちらつき
あまりよく眠れない夜が続いています。
1月25日付けの記事で
『別名不死身といわれた所似の数々第三弾』
でご紹介したように米国テロの真っ只中にいて
多くの犠牲者がいた上で・・・
僕は生き残ってきました。
余計に命の重みは肌で感じています。
被災者の方々は現在
夜明け前の・・・
一番寒くて辛い時
だと思います
いつか必ず夜が明けることを信じて・・・
パンドラの箱を閉めるのと同様に・・・
『希望』を持って頂きたい。
そして『生きている』
『命がある』ということを噛み締めて
大切にして頂きたいと思います