いつもお読みいただきありがとうございます。
普段は仕事のことを中心に書くことが多いのですが、連休中、仕事からほんの少しだけ離れる時間があり、その中でふと、普段なら深く考えないことを立ち止まって見つめる瞬間がありました。
今日はそのときに感じた「愛」というテーマについて、
少し番外編となりますが、記してみたいと思います。
愛という、もうひとつの姿。
― 「愛には一つの形しかない」と思っていませんか? ―
人は「愛」と聞くと、“唯一の正しさ・ただ一つの形”を思い浮かべがちです。
けれど実際には、愛はもっと多層的で、揺らぎがあって、境界線の輪郭を曖昧に変えていく、
とても人間的で自由な現象。
だからこそ偉大な心理学者たちは、「愛とは何か?」を生涯かけて探し続けました。
ここでは5人の思想家を案内人に迎え、“愛という名の曖昧で深い現象”を紐解きます。
|5人の思想家が示した“愛の正体”とは?
1|フロイト──愛は欲望と幻想のあいだに揺れる。
人は「一人の相手にすべてを求める」ようには作られていません。
恋や刺激を求めるのは、人間の自然な反応。
2|ユング──人は“自分の無意識”に恋をする。
惹かれる相手は、あなたが抑えてきた
"自分の一部(アニマ・アニムス)"
|ユング──恋は“無意識”の鏡
- 境遇や立場を超えて惹かれる
- 社会的な条件を超えて心が動く
- 言葉にならない落ち着きや安心感
そのすべては、「あなたの中の失われたピース」を相手が持っているから。
恋とは、“自分の魂が自分に会いに行く現象”。
ただし、心は自由でも、行動には配慮が必要。
そこにこそ、愛の本質がある。
3|エーリッヒ・フロム──愛は技術であり、選ぶ行為。
恋は落ちるもの。
しかし、愛は「意志」と「責任」で育てるもの。
4|フランクル──“意味”を見つけた瞬間に、人は生き返る。
人は愛を通して、自分の人生の意味を知る。
― 愛とは、
相手の存在そのものに“意味”を見出すこと ―
|フランクル──愛は“意味”を与える力
人が本当に変わるのは、誰かとの関わりの中で、
「生きる意味」に触れたとき。
フランクルの言う“意味”とは、ドラマチックな何かではなく、
誰かの存在が日常に小さな灯りをともすような瞬間。
愛とは所有でも依存でもなく、
相手の存在そのものに“意味”を見出すこと。
それがフランクルが見つめ続けた、もうひとつの愛の姿。
5|ヴィニール・ランク──不完全だから人は結びつく。
完全じゃないから惹かれ合い、
不安があるから恋が生まれる。
|まとめ|愛のかたちは一つではない
結婚とは、法律上の契約という枠組みの中で成り立つもの。
けれど、人の心はその枠の中だけで完結するほど単純ではありません。
心が自由であることと、行動が自由であることは同じではない。
むしろ大人になるほど、その差を知り、どう折り合いをつけるかが問われるのだと思います。
愛にはひとつの形しかないわけではない。
人の数だけ、静かに姿を変える愛がある。
名前をつけられない関係さえも、誰かを大切に想うという、自然な心の働きのひとつ。
心がどこに向くかは自由でも、その気持ちを“どう扱うか”は自分で選べる。
その選び方を忘れずに、誰も傷つけず、自分を欺かず、静かに成熟していくこと。
様々な愛という形があるけれど、心を豊かにするのは、その愛をどう生きるか、ただそれだけのシンプルなことだと思います。
この歳になって色々な経験や感情を味わってきて、ようやく分かった気がします。

