つづく、と書いたらふつうは4月の出来事になるはずだが、ちょっと戻って1月の出来事。
私たち夫婦は(1月には厳密には夫婦ではなかったけど)、出生前検査を受けようとしていた。
夫がかなり年上であることで、赤ちゃんに異常が出ないか、かなり不安があった。
卵子は女性の体に生まれつき、一生分が備わっていて、歳を取れば取るほど劣化したものが毎月放出されるわけだけど、調べてみると、精子は日々?フレッシュなものが生産されるらしい。それを知ってすこし安心したものの、じゃあ生産するマシーン本体が劣化していたらどうなのよ?と(笑)
女性の私も30を数年超えているわけで、若い!とも言えない。
私が受けようと思ったのは、「クワトロテスト」または「母体血清マーカーテスト」というもので、二分脊椎や無脳症、ダウン症、の「確率」がわかるというもの。
お腹に針を刺して直接羊水をチェックするものとは違う。羊水検査はより確実な結果になりやすいが、刺した針が胎児を殺めてしまう可能性もある。高くはないが、低くもない。
そして10万円ほどと、かなり高額だった。
そもそも、結果を知って、どうするのだ、と、私はなんだかそのあたりがぼうっとしていた。
夫は、自分が高齢だから、子どもを育てていくにあたり、養育できる年齢的限界を、現実問題として考えているようだった。たしかに若いパパ達とは残された年数が違う。
そして、確実に私よりは先に逝く。
だから、子どもには、将来妻である私を助けることのできる存在であってほしい、と強く願っているようだった。そして、一人でたくましく生きることができるように育てたい、という気持ちも、なんだか痛いほど伝わってきた。
だから、染色体異常で長く生きられない赤ちゃんが生まれる確率が高ければ、産まない、という選択をする覚悟を、彼は持っていた。
もちろん産む・産まないは女性のお腹のことなので、最終決定権は女性にあるような気がするが、夫が産まないと言ったらたぶんその子は生まれてこないのだな、と、私は他人事のように、または完全に悟ったかのように、思っていた。
じゃあ、どれくらいの確率のときに、「産まない」にするのか。
「確率」ってなんだ、どうとらえたらいいのだ、と真剣に考える時間が始まった。
つづく
