同時に得て失っている物がある事は当たり前なんですがね? | Liber Novus 真理の書

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問題がひとりで解決する事は絶対にない
誰もあなたに代わって闘ってはくれない
貴方だけの幸せの公式を見つけましょう。

今の方法で上手くいかないならせめて他のやり方を検討しましょう。
楽観主義でも、悲観主義でもなく、「現実主義者」になる為の真理の書

ご機嫌いかがですか?
(^-^)


春ですね~~~~。

我が家の近所はほんと、全国各地からの観光客の方々で埋め尽くされる時になりました!



普段は東京のど真ん中に位置している九段・番町ですが、とっても静かな所なんですが、桜のシーズンは。。。。


まあ、もんのすごい事になります。

とはいうものの、千鳥ヶ淵の桜は本当に綺麗ですよ。



夜桜は、地元民の私も観光客の方々に交じってみますが、

私はこの季節は毎回早朝に、千鳥ヶ淵を散策します。



本当に、地元に住んでいないと出来ない事で、ああ、贅沢だなあ、とおねむい目をこすりこすり、ぬくぬくの御布団から起きるわけですが・・・・・。



でね、ここで、少し考えてみましょう。
(^-^)/

私は、早朝の人が殆どいない千鳥ヶ淵の桜を満喫するのですが、その一方で、ぬくぬくお布団の中での睡眠を放棄しているのです。


一つのものを得ていれば、一つの事を失っています。


我が町九段・番町は、普段はとても落ち着いた街で御座いますが、この時期や、武道館コンサートのある時は、ほんと、道も歩けない位の人ごみになり、



街は、汚れ、ごみは散乱し、


まあ、ひっちゃかめっちゃかにはなるのですが、その代わり、この街は消費というもので、経済効果としてはかなりなものを得て、この街にあるお店は「収入」を普段何倍も得て、そしてそれは法人税として、

区民税やその他もろもろでまあ、循環してくれます。


あったり前と言えば、当たり前なのですが、


得るものがあれば必ず失うものがある、

という事を本当に我々はしっかり認識しているでしょうか?



いえね、私には・・・・

ん、まあ、私には・・・・・ですが、

自分が幸せになる、その幸せの形には必ず負の部分も同時に起こって当たり前・・・だと思うのですが、いかがでしょうか?


あのね、何度も書いている「愛=エゴ」にも通じるものなんですけど、

過去の日記:「愛=エゴ」は、薬=毒にもなりうる理屈と同じ
http://ameblo.jp/marisuzuka/entry-11168044519.html



私ね、結構、ここら辺の認識・・・・

物事を一方でしか観る力がないと、色々な事が致命的な事になると思うのです。



私は、東京のど真ん中に住んでいますが、まあマンションを持っておりますが、この住処・・・


昼寝をしていて得たわけではないのですが、

たまにいますよ。


親元にお住まいになっていて、毎日長い通勤時間でへとへとになっている方が、自分は毎日大変だ!!!


と、必死に主張される方。
( ̄_ ̄ i)


でもさ、毎日小出しで通勤時間が大変かもしれないけど、親の家にいるって事はそこから得ている物もあるじゃないですか?

勿論失っている物もある。


ただ、一つ思いだして欲しいのは、他人の環境など、よっぽど「可哀想」であり、



別の言い方をすれば、その人が「奇跡を起こす資格」

過去の日記:「自分から可哀想な人にならないで」
http://ameblo.jp/marisuzuka/entry-11202097657.html



が無い限り、誰にとっても「他人事」であることをしっかり認識された方が私は生きやすいと思います。

ホント、自分から自分を「可哀想な人」になる人は、


自分から “選んでいる”

そして、その状況から必ず “得ている物”  が存在する、

可哀想だからこそ、得ている物・・・・。



その得ている物を手放さない限り、人生は、自分が主演女優(男優)であり、演出家であり、脚本家であり、音響も、衣装もメイクも舞台装置も何もかも行い、


記録・・・・さえ、自分がやっているので、その内容に見合ったものが

“得ている物”



として人生に現れる。


ん、まあね、ここでこういう反論が出るかもしれません。

私は酷い家に生まれて、

~~~~~んな事があり、
~~~~~な事にさらされ、
~~~~~んな事で人生がおかしくなった。



仏教によると三世の道理といって、生まれてくる場所すら自分の過去世の行いによるって言われていまして、

ただね、これは私も証明されている事ではないので、なんともですか、

私はこれは、多分こうなんだろう・・・・・



って、思った方が、色々な人生の矛盾がすんなり理解できるので取り入れています。

私もね、人様から見たら素晴らしい家庭で、甘やかされて育ったと言われても仕方ないかもしれません。



しかし、自分の生まれて育った環境に対して自分が持っている

「認識」は自分のものであり、他人には解りえない事。


他人の「認識」を変えようと必死になっても、自分の「認識」が生き辛いなら、それらを見つめ、それらとの付き合い方を知る事。


それが唯一自分に出来うる事だと私は感じております。



ここで一つの例を・・・・。


南極にペンギン・・・・って生き物がおります。

ペンギン、



ご存知ですよね?


このペンギンさん達は、まあ集団で行動しておるのですが、

彼らは海に潜ってお魚を餌にして、生きております。



とはいうものの、自然界は厳しく、ペンギンさん達には、あざらし!

って天敵がおります。


なもので、ペンギンさん達は、魚を捕りに海に潜る時は、あざらしの餌になってしまうかもしれず、餌を取るのも


「命がけ」

だったりします。



でね、このペンギンたち、面白い動きをするんですよ。

海に潜る前、集団でいるペンギンは、仲間を押すようなしぐさをします。


こんな感じ↓

「お、おい、お前先に行けよ!」

「いや、お前行ってよ!」



って会話があるかどうかは別として、誰もが自分が一番に海に飛び込む事をしようとせず、

仲間のペンギンを海に落として、海の中の様子を見ようとするんです。



だってね、一番最初に海に飛び込んで、もし天敵「あざらし」がいたら、

そのぺんぎんは、自分が餌をとる前に、自分が餌になってしまう。。。


人間はね、ウイルスによって餌になる事も御座いますが、このようなあからさまな食物連鎖の概念が薄い為に、

これらの現象を深く味わる事は、特に今の様な現代社会では難しいかもしれません。


この野生のペンギンたちは、自由にペンギンとして生きておりますが、その自由な生き方は、仲間達に裏切られる事もあり、また命をいつも危険にさらされている・・・・



さて、ここで・・・・

動物園のペンギンさん達・・・・・。


彼らは、狭い敷地内で、南極の様なクールで気持ちの良い環境からは程遠い、生ぬるい塩水の中で、


ちゃぷちゃぷ生きているかもしれません。

やりたくもないのに、「芸」なんて強制されて・・・・・・。




でもね、彼らは、仲間から海に叩き落される事もなく、

あざらしの餌になる事も無く、定期的に餌を与えられて、

病気になったら、「獣医さん」なんかが診察してくれて・・・・・。




勝手に人間に連れてこられたペンギンたちは選択権は御座いませんが、彼らが幸せなのか不幸なのかは知りませんが、

もし、彼らに「認識」する能力があったら、



それは、彼らが自分に「起きている事」をどう受け止めるかでしょう。

そして、いい所だけを見ようとしても、事実、



生ぬるい海水があり、狭い敷地がある事実は変わらず、

その自分が求めていない事があるからこそ、毎日命を危険にさらされる可能性の%が低くなっている。


可能性の%です。
(人生の未来必ず起こる事は死ぬことだけなので、全ての事象は可能性の領域ですよ。)



私は各個人の人生においてこれらの事が起こっていると思います。



捕獲されて動物園につれてこられたペンギンが、

自由がないと、こんなのは、理不尽で僕のせいではない!




と言い切るなら、

その裏には、例え今南極に帰って、あざらしの餌になってもかまわない!


って諦らかに起こりえる可能性をありのままに観てから言ったり、行動したりしないと、


こんなはずじゃなかった!
~~~~~~が悪い!


と、諦らかな事実を無視して、また堂々巡りが始まるかと思いますが、いかがでしょうか?

まあね、あざらしの餌になれば、死んだあとは後悔すら出来ないと思いますが、下手に怪我をした場合・・・・


自分の選択の結果、これらの現象が起きている!

って自覚がないと、人生において「変化」など、起こりえないと私は思います。

余談ですが、他の動物が動物を「飼う」・・・


真面目に考えたら、とんでもない事かも知れません。

それでも私は猫が好きですが・・・

う~~~~~む。




話がそれましたが、


親からの影響を嘆き、又そこから飛び出したら、それなりの試練もあるのが、人生だと思いますよ。


どんなことにも、幸せと言う認識にも、不幸と言う認識にも、それは同時に起こっていて、それらをしっかり認識する勇気は大変大切だと私は思います。



そして、自分に都合のよい事は、それに伴う生き辛い現象も同時に生み出し、それらを幸せと認識するか、不幸だと認識するのかは、


自分の思考や在り方の脳の筋トレでなんとか出来るものだと私は思います。


思考を強化するのではなくて、筋トレをするんですよ。




そして、横着に「不幸」を避けて通ろうとすると、まあ、動物園から出ようなんて大それたことを望まない事です。

井の中の蛙は、大海を望まないって事を、自分の選択から行ったら、他人が大海で泳いでいてもうらやましくないでしょうし、


井の中の蛙が、大海に出るなら、その大海には穏やかな日も、嵐もあり、波が荒くても自分の選択として責任を持つ在り方が生まれるでしょう。
(^-^)/


それらを抜きにして、横着な道を模索するのは、実は見当外れの努力と私はカテゴライズするたちなんですよ!
o(^-^)o

では、本日はこの辺で!
ではでは!

(^-^)/

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