(^-^)
正直、本日の日記のタイトルを考える時、とても難しいと感じていました。
というのは、多分かなり繊細な事を本日書きますので、それにふさわしいタイトルを考えたんですが、どうも上手くかけません。
ん~~~~、考えても仕方ないのでとりあえず内容に移ります!
(^-^)/
ええっと、皆様、大人になるってどんなイメージですか?
ん、まあ、このテーマに関しては、以前も書きました。
過去の日記:大人になる事の重要性
http://ameblo.jp/marisuzuka/entry-11191608706.html
大人ってイメージなんですが、結構歪んでいると思いません?
私ね、歳の離れた兄が2人いるんですが、ちっちゃいころ、兄達が凄く大きく見えてましたし、色々兄達には「お説教」をされましたが、
当時の私が小学生の時、兄達は大学生だったんですが、
今思えば、大学生にあそこまで説教されなくても・・・・
o(><;)(;><)o
というか、
今の自分の年齢を顧みて、昔自分が抱いていた実年齢のイメージと自分の精神年齢とのギャップに実は苦笑してしまう私です。
現在、私がもし、「大人」という事についての私のイメージを申しますと、
大人とは、人生においての「選択権」が増える事・・・・・
ではないかと感じています。
確かに、老い等に見られる身体的な制限や社会的制限もありますが、それでも、その範囲内で、自分の知恵で選択が可能である事、
それが大人ではないでしょうか?
では、ここで、「親」というもののイメージはどんな感じでしょう?
我々の人生には例外なく、「親」と言う人たちが存在します。
自分が親になろうが、なかろうが、自分がこの世に存在する為には、必ず「親」が必要です。
さて、では我々は「誰か」の「子供」としての立場の中で、一つ考えてみましょう。
一般的に「親」というものは、「子供」を守る存在です。
そして、母・・・・・
のイメージは、一般的には、子供の庇護者です。
無償の愛!
から連想される一番のイメージは、お母さん、
だったりしませんか?
さて、そのお母さん・・・・・
我々と実は同じ人間です。
人間なので、いくら子供にだって、全て正しい事が出来る生き物でない事はなんとなくお分かりでしょうか?
何せ人は「大人」ってイメージとギャップがあるほど、不完全な存在です。
その「大人」が、子供を産んで、そのまま、「親」になったからと言って、聖母にもれなく昇格するわけでもありません。
さてさて、もう一つ質問です。
自分が「失望」とか、「怒り」とかを感じる時って、どんな時だと思いますか?
では、嬉しい時、つい笑顔がこぼれる時ってどんな時でしょう?
それはね、自分の行為に対して、有形・無形を問わず、与えたものが帰ってきた時なんです。
そして、失望とか、怒りとかを感じる時は、自分が期待したものをもらえなかった時・・・・・だったりします。
だってね、ボランティアだって感謝もされず、無視されたり、過小評価されたり、ましてや見当外れないいがかりをつけられたらどう感じます?
そんな時まで、笑顔でいられる人っているんですかね?
人生を生きていて、自分が正しいと思っても、絶対に相手が間違っているって思っても、そうならない事って多いですよね?
それを前提に考えた時、
世の中のイメージで、
自分が受け取れる、又は受け取って当然!
と思っているものを受け取れなかった時、人は「失望」とか、「怒り」はかなり大きいと思いませんか?
自分の両親から愛してもらえなかったり、両親からのトラウマなどがどれだけの影響があるか・・・・って事を考えると、ましてや子供の頃に不完全だった心での誤解・・・・
つまり、人にとって「受け取る」と言う事は物凄く大切なことだったりするんです。
無償の愛・・・・・っていいますよね。
良く、これらは聖母を例えて言われる事もあります。
なんの見返りも要求しない、大きな愛・・・・・。
その愛は、公平に誰にも同じように与えられる愛・・・・・。
でもね、その愛を求めている人は、無償の愛を与えられると言う事は、裏を返せば、人間の際限無き、欲望という物が見え隠れするように私には観えます。
何故なら、自分が想像する事と現実とのギャップが存在するから。
私ね、正直、ずっと、何で最近、「愛」を売り物にする人が増えているのか疑問でした。
人は完全、完璧な存在で、エゴからの行動を完全無視して、愛を押し売りする最近の風潮。
ジャッジだの、マインドだのを盾に、エゴを古い価値観的に扱う風潮…。
私にはとても違和感がありました。
愛を売り物にするという事は、無償の愛をもらえなかったとの自覚から、自分がその無償の愛を演出して、
無償の愛神話、親の代わりをして、相手を支配しようという意図は全くありませんか?
子供を支配しようとする親のあり方は、根強く存在します。
そして、内面が子供であればある程、選択肢は限られ、空想上の
「無償の愛」
を求めたりしていませんか?
あまり良い例ではありませんが、虐待を受けた人は、無意識に虐待をする傾向があります。
親の在り方が子供の頃のお手本で、心が大人になりきれない人は、子供の選択肢しかありません。
親に支配されてきた人は、他人に同じ事をする傾向があります。
親に過剰の期待をする人は、それを全てに求める傾向にあります。
どんな綺麗事を言っても、子供の心のままだと、
選択肢は、親のあり方がベースとなるのです。
そして、「親」は、完全な存在ではありません。
親は完全な存在ではないのです。
「人間」
なのです。
完全な「愛」の形を求めるがゆえに、親からもらえなかった愛を求めるがゆえに、愛の売り物にしている人にすがるのは、
愛とは、全く非なるものではありませんか?
親が子供を知らず知らずに支配する様に、貴方はその支配者を知らず知らずに求めていませんか?
では、本日はこの辺で~~~~!
ではでは!
(^-^)/
株式会社HBBコンサルティング
メンタルケア―サロン ラ・プラス

