先日、コロナ禍になってから久しく会ってなかったオババ会いに行った。
オババと話していて、ひとつ思い出したことがある。わたしの自己肯定感についてだ。




オババとわたしは10年間二人暮らしをしていた。わたしは11歳〜21歳の間、思春期、反抗期をオババと共に過ごした。オババというとなにかのキャラクターみたいだが、わたしの母方の祖母のことだ。すごくお世話になって、大好きなオババである。


小学生ながら母と離れて暮らすことを自ら選び進学をしたわたしだったが、ホームシックは遅れてやってきた。そのホームシックと同時に悩まされたのが、オババの親バカ事情だった。


オババはことあるごとに「あんたのママはすごい」と繰り返した。「あの子は天才」「高田純二から電話が来た」「芸能界のスカウトも断った」「妖精みたいに可愛かった」「細くて、スケートも天才的にうまかった」「ちょちょっと描いた絵が天才」「ぱぱっと作った粘土細工が天才」これらのエピソードを各500リピートくらいされた。たしかに自分の娘が可愛いのは当たり前だ。だがわたしは子供ながら、世の中のおばあちゃんというのは孫を一番に可愛がるものなんだとばかり思っていた。しかしうちのオババの中では明確に娘>>>>>>>>>孫という関係図があり、それを告げられたことすらあった。




孫のわたしはそれをどう聞くか。




たしかにわたしのママはすごい。ちょっと人並外れたものを色々と持っているし、それゆえに備わった性格もちょっと普通じゃないと思っている。わたしにとって最愛の、どこに行っても胸を張って紹介できる、この上なく最高のママだ。


だけどこの時は、つらかった。
オババはわたしと母を比べたりする発言をしてた訳ではなかった。でも、偏屈なわたしはその言葉の節々に(それに比べてこの子は特に優れたところもなくて……)と言われてるように感じていた。
母の日本人離れした顔立ちの美しさは、写真や母の友人からの情報でよく知っていたし、なによりオババがアルバムを引っ張りだして見せてきていたからわかる。スケートの全国大会で優勝したり、ラフに描いた絵がとても上手いことも知っていた。

それに比べるとわたしは美人の母に全然似ておらず、一重で歯並びもガタガタ(今は矯正済み)、中学受験しても底辺校にしか受からず、バレエもうだつの上がらない結果ばかりで、もう本当に本当に、冴えない子供だった。それは誰より一番自分がよくわかっていて、オババが母の話をするたびに「ごめんね、今育ててる孫がこんなんで」と思うようになっていった。


反抗期にはその気持ちが爆発して、「バーバはわたしのことなんか好きじゃないじゃん!!」なんて言ったこともある。今考えたら、好きじゃなかったら10年もご飯を食べさせて世話をしてやるわけがないのに、その頃はそれすら、「自分の可愛い娘がお願いしたから、渋々わたしの面倒を見てるんだ」なんて思っていた。




とにかく優秀で美人な母と比べられている(と思い込む)ことで、わたしの自己肯定感はどんどん低くなっていった。何をしてもダメだ、全然ダメだ、どうせママみたいにはなれない、オババは褒めてくれない。そう思っていた。

でも母だけは、いつも、いつの時代も変わらずにわたしのことを溺愛してくれていた。こんなに素敵な母がいる、その母はいつもわたしを褒めてくれる…それはわたしのなけなしの自信のひとつで、母に会う時間が、心の救いだった。


そんなわたしも高校生になり、大学受験になった。わたしは勉強が嫌いではなかったから、大学受験には夢中になった。

自分はどこまで通用するか。

それをわかりやすく数字で教えてくれる全国模試はすごく好きだった。次はもっと上に、もっといい点数を、そう思ってやればやるほどいい成績が取れた。そして大学受験で、行きたかった大学に受かることができた。




オババは、わたしが予想以上にいい大学に行ったことに驚いていた。そして言った。「ママでも受からなかった大学に受かるなんて、すごいよね」




たぶん、なんの気無しに言った一言だった。それでも、わたしはやっと一つ、自分を海底に沈めていた重りが一つとれたような気分だった。やっとオババが褒めてくれた、ママよりすごいと言ってくれた、それが何よりうれしかったのだ。



いつだって、ママとくらべていたのは自分だった。
オババに認めてもらえない、と思っていたのも自分だった。
自分を海底に沈めていたのも、自分。



しばらくして、わたしはオババの家を出た。
オババが自分の娘をすごいと思うのは全然悪いことじゃない。自慢の娘がいるのは素晴らしいことだし、それを生み、女手ひとつで育てたのはオババの立派な功績なのだ。
でも、「ママはすごい」その言葉を呪いとして聞いてしまう自分がいるかぎりは、ここを出なければいけない。そう思った。




家を出て1人で暮らして、やっとわかった。

ママはすごい。たしかにすごい。



でも、わたしもすごい。すごいはずだ。
ママにできないことをしよう、なんて考えるのはママにも失礼だ。
わたしがやることは全部、わたしにしかできないことのはずなんだから。それを一つずつ、これから見つけていかなければいけない。
それから、わたしはしこたま勉強をしたり、歌を練習したり、ダンスをがんばったりして、少しずつ、自分で自分を褒められるところを見つけていった。自分の足についた重りを外していくことができたのだ。




今考えたら、ママよりいい大学に行く、なんて、本当にくだらない基準だと思う。
でも、そんなくだらないものがわたしの世界の全てだった頃が確実にあった。そんなくだらない成果ひとつで覆せる自分がいた。超えられた壁があった。





久しぶりに会ったオババは相変わらず元気で、話も後半になるとやはりママの話ばかりになった。今でもこの話になると、あの頃の後遺症で心のどこかがギュッと締め付けられて泣きたくなる。それで、初めて伝えてみた。
「それあんまり言われると、わたしは悲しくなるんだよ」

するとオババは心底キョトンとして、こう言った。

「え?まぁちゃんだって別のことで頑張ってるじゃない!
でもあの子は本当に特別な子なのよ…」




ヨシ、
親バカは一生治らない病なので諦めよう。
うちのママがそうであるように。



摩吏紗