現代に生きる人間は、第六感というものが非常に衰えていると思う。







こんなことをいうと

え、マリサさんて…スピ系…?

と思う人がいそうだが、スピ系ではない。量産型でも地雷系でもない。





第六感というのはいわゆる「勘」てやつだとおもう。
予感、というのは実は今までの経験則を元にしたデータ解析によるものだと『アーモンド』の中で書いてあったが、それとはまた違う、なんとなくやばそうとか、そういう勘というのは、ある意味野生じみている。


野生からどんどんかけ離れていったこのデジタルなソサエティで、この第六感が使われなくなっているのは当たり前かも知れない。




そんな現代において勃発しがちな戦争。

その名も、



「どうして察してくれないの?言ってくれなきゃわからないよ戦争」



敬愛するコラムニスト、アルテイシアさんの本にもあったこの戦争。古代から人類が悩まされてきたものであろう。




早速だが、
わたしはこの戦争を起こしがちである。





と言っても、
空気で察してよ!とか、なんとなくわかるでしょ!みたいなものは、実はわたしは、よくわかる。むしろ敏感な方なのだ。
いま空気ヤバいな、とか、いま褒めてほしいんだろうなーとか、感じることは容易に出来る方だ。幼い頃 は母がよく不機嫌で、その顔色ばかり伺っていたので、潜在能力はたぶん開花している。







ではなぜこのわたしが、「どうして察してくれないの?言ってくれなきゃわからないよ戦争」を起こしがちなのか、検証してみた。
わたしは 言うまでもなく、言ってくれなきゃわからないよ側の兵士である。






私たちが、「言ってくれなきゃわからないよ!」と言う時、
そこには言葉通りの意味だけでなく、裏の意味も含まれていると思うのだ。







「言ってくれなきゃわからないよ!!」




訳①なぜ機嫌が悪いのか、何をしてほしい状況なのかを言葉で伝えてよ!

だけでなく、

というよりもはや、

訳②なんとなく何をしてほしい状況なのかは分かるけど、そうやって自分の不機嫌を人になんとかしてもらってこれからも生きていくつもり?甘ったれんな





が8割である。(キッパリ)


 







わたしの心の狭さが露呈してしまいました。
「言えないの、その気持ち、察してヨ」なんていじらしさを、可愛いものとして受け取ることができなくてごめんなさい。
でもさ、言葉にして愛を伝えなかったから、すれ違いが起きて、愛されてないって思った女は浮気するしさ、帰り遅くなるってちゃんと言わなかったから夫は今日も飲み会行って妻は作ってた晩ご飯無駄になるしさ。いいことないじゃん。言わないのは。




でもわたしはこれからも、しばらくは、
第六感がなくてごめんなさいね〜〜〜!みたいな開き直り方で、甘えを許さない姿勢でこれからも生きていこうと思う。




摩吏紗