ちょっとフタをするようになった話


わたしは わりと涙もろいタイプだ。
というか、自分ごとで、すぐに泣く。


嫌な目にあった!最悪だ!と言っては泣くし、なんでわたしばかりこんなしんどい思いして…と泣くし、とにかく、泣いてる事柄を振り返ると、全部自分ごとである。これだからB型一人っ子は困る。





とはいっても、犬やおばあちゃんが出てくる映画や、はじめてのおつかいをみてもウルウルはする。だが、涙腺に キーン と来た瞬間、わたしは「電車で舌打ちしてきたおっさんの顔」とか「指引っ張って、と言われて引っ張るとオナラをする祖母」とか、涙が遠のく何かを思い出したりして、涙が溢れるのを回避するようになった。誰にも泣いちゃダメとは言われていないし、怒られたりしたこともないのに、誰かと一緒に見ているテレビで涙を流せなくなったことに気がついたのだ。



そういう場、つまり、他の誰かが泣く可能性のある大衆的なお涙頂戴モノを共有している場で、わたしはいつも、ニヤニヤしている。これだけ書くとサイコパスみたいだが、サイコパスかも?と自分で不安になる人はサイコパスではないとこの本に書いてあったのでわたしは大丈夫ですからね!?!




でも、そういう人は多いんではないだろうか?
なぜニヤニヤしているかというと、「そこにいる他の人に泣かせてあげたいから」な気がする。なぜなら、わたし自身がそうだからだ。誰かが泣いてると、わたしは泣けない。泣き始めた人が最強になってしまう。



もし誰よりも早い段階でわたしが泣き始めたら問題はない。なので、color-codeのミーティングの場でも、見られる光景は二択だ。わたしが1人だけ変なタイミングでボロボロ泣き始めるか、他の2人が泣いていてわたしがケロッとしているか、である。



誰かが先に泣いてしまうと、わたしは泣けなくなる。わたしはニヤニヤして祖母のオナラを思い出すしかなくなる。それで言われるのだ、「こういうので泣かないタイプなんだね〜」と。



ちがう!!
俺だって泣きテェ!!




なんだろう、この涙という席をかけた椅子取りゲームを、わたしは勝手に始めてしまうのだ。こればかりはどうしようもなくて、涙の予感を感じると、はじめたくなくても勝手に愉快な音楽が流れてしまう。はじめてのおつかいの帰り道でポストに扮したカメラマンの前で子どもの持つ買い物袋が破け始めたら、爆音で音楽が始まってしまい、わたしは椅子の周りをぐるぐる歩き始める。音楽が始まったということは、わたしはもう泣けない。誰かが泣くか、誰も泣かないか。音楽が鳴り始める前に泣く以外、わたしに泣くという選択肢はないわけだ。





誰かこの理論に共感してくれる人はいるだろうか。B型の人に多いような気がする。






まりさ