わたしは運命論者だと思う。

 

 

 




 

生まれてくるときに すでに人の運命は決まっている気がしているのだ。

先日お坊さんに話を聞いたら、仏教の思想にも若干近いと感じた。

前世でやり残したことを今世でやるために、そのためにはどんな人間関係や成長環境が必要か、どのお父さんとお母さんの元に生まれたらいいかを自分で決めてくるとのことだ。一理ある。

いや、人はみんな生きている自分自身のことしか分かり得ないのだから、百理だってある話だ。

 

 

 

 

どの目標に向かってどうやって進んでいくか、そのために今の自分はなにをすべきか。

 

そういう堅実で”偉い”思考を「しゃらくせえ!てやんでえ!」とぶち壊したくなる時が、かなりの頻度でわたしに起こるのは、

わたしがどこで何をしたってもう運命は決まってるんだから、と、心のどこかで思っているからに違いない。

 

 

 

 

 

 

しかし。

 

運命の怖いところは、

そのわたしのてやんでえ発作の周期ですら、もう決められているんじゃないか?ということだ。



たとえば、(史実とはことなります)


 

4/23 ボイトレでこえが1.2パーセント太くなる

4/24 リハーサルで新しい自分の弱点を見つける

4/25 てやんでえ!

4/26 誰々に再会

 

 

とか、決められている気がしてならない。

 

 

 

 

さて、どんな未来が待ち受けてるんだろう。

 

 

 

最近見た「鍵泥棒のメソッド」という映画の中で、香川照之さん演じる頑張れるタイプの男が、

「一瞬やる気を出して本を買ってみるけど最初の数ページだけ読んで勉強した気になるタイプのダメな人間じゃないか、お前は!」

というようなことを言っていて、それが超ストライクで胸に刺さってしまったわたしでした。

 

 

努力って、難しい。続けるのって、難しい。

わたしがcolor-codeを続けることができているのは、確実に、一人じゃなかったからです。

三人組で、他の二人の人生も背負って生きているから、

そして、スパッと捨ててしまいがちなわたしを叱って引き留めてくれたメンバーがいたから。

 

 

やっぱり、一人でがんばり続けるのって、難しいなあと、

筋トレとか、勉強とか、ね。

ファンのみんなが、すごいとか、モチベーションになりますって言ってくれるからなんとか筋トレもできてます。ありがとう。

 

 

もっとたくさんの人が、わたしを見つけてくれるように

もっともっと、がんばりたい。

 

 

 

がんばる。

 

 

 

 

 

今日は今年初の夕立に遭遇しました。

夕立ってすてきな言葉。

 

明日の朝、びっしりと濃く匂い立つ葉っぱたちが今から想像できるなあ。

 

 

 

 

 

摩吏紗