なぜだろう。


ここ数年、お餅つきへの執着がすごい。







お正月、
毎年我が家では、おじいちゃんがうちでとれたお米でお餅をつくってくれる。関東は角餅といって、伸ばした餅を四角く切って保存するんですけど、関西はこれが丸いんですよね、最近知りました。中でも色のついた餅を棒状にまとめたものが、猫の伸びた姿に似ているから「ねこ」というのだとか。面白い。関東の四角い餅は何に似ているだろうか。ぬりかべかな。大喜利形式で募集したいところだ。





話が逸れた。
わたしの並々ならぬ餅つきへの関心を証明するとしたら、「餅つき」でツイッター検索し、出てきた情報で東京神奈川千葉埼玉あたりのものを一つひとつGoogleカレンダーに登録、それベースで休みを組むぐらい、といったらわかりやすいだろうか。
というのも、餅つき大会はだいたいお正月に行われているので、わたしが餅つきに目覚めたタイミングはちょうど、シーズンが終わった直後だったのだ。





「つきたての おもち」


この文字列だけでヨダレが出そうだ。ひらがなまで美味そうだなんて まったくもって罪な存在。







言っておくが、餅つきなんて物心がついてからしたことがない。この写真の頃は物心がついてないし、おそらくこやつは、自分が何をしているのかもわかっていない。
ふしぎなことにわたしは この持ち前の想像力ゆえに、「つきたてのおもち」というひらがなから想像される美味しさに囚われたのだ。夢でもみたのだろうか。いつからなのかがさっぱりわからない。
兎にも角にも「つきたての おもち」の呪いにかかったわたしは、それが食べられるお店を調べて足を運んだり、自宅でいかにそれを再現できるかに奔走した。しかし、どれだけ趣向を凝らして自宅で四角い餅をもどして食べても、想像の中の 「つきたての おもち」にはたどり着けなかったのだ。
あとはもう、餅つき大会にいって、本物を食べるしかない。。。それが、わたしが餅つき大会に執着するようになった所以だ。








そして今日、
ついに、わたしが約1ヶ月前から指折りかぞえて心待ちにしていた 餅つき大会があった。




朝、昼、午後の三回行われる予定とのことでスケジュールも事前にチェックし、餅つきが行われる広場に下見も兼ねてはるばるジョギングしていたので場所は把握済み。
現在連日通っている舞台の稽古も奇跡的にその日だけお休みで、個人的な予定も一切入れず、朝から夜までしっかりOFF、体調もすこぶるいい。準備はこれ以上ないくらいに 万全だ。








朝起きて、頭の中は餅つきでいっぱいだった。化粧もそこそこに、寒さ対策だけして、出発。




公園につくと、さすが日曜日ということもあり、家族づれとお年寄りでごった返していた。こういう場所に何故かいないのが、高校生くらいのティーンたちだ。わたしにもありました。
地元のお祭り行くなんて、ダサっ!
そう思っていた 時期が。




梅が見頃だった。梅は木によって咲く時期がまばらなので、揃って満開!全開!みたいになることはほぼない。咲いてる木もあれば、まだ蕾の木もあり、散った木もあった。
あーきれい、と、花見もそぞろに、事前に予習済みの場所へ 急ぐ。まだ開始の時間まで余裕はあるけれど、人の多さに胸騒ぎがしてきた。嫌な予感がする。



と、やはり。




ジョギングで 息も絶え絶えなわたしが早朝通るときには人っ子一人いない広場が、今日は人でごった返していた。餅つき大会開始まであと15分はある。やられた。 泣きべそをかきながら、長蛇の列の最後尾につく。



いやはや、なんせ初めてくるお祭りなので、勝手がわからない。年端もいかぬボーイスカウトの男の子たちが列に並ばせてはくれたけども、果たしてこんな最後尾まで餅が行き渡るのか?一回の餅つきで何人ぶん?そしてそれが 何周予定?この午前の部で何人くる想定?もち米は何キロ使用?そもそも わたしも餅をつけるの?いただくだけ?




悶々と考えているうちに、気付けば わたしの後ろにもずらずらと たくさん人が並んでいた。なんだこれ、不安だ。餅のことが気がかりでならない。ボーイスカウトの坊ちゃん、親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしていないか?こんなに並ばせて大丈夫?ざっとみても400人くらいいるぞ?color-codeのワンマンより たぶんいるぞ?こんなに並んでもち米は足りるの?ねぇ………




実行委員長(勝手に長にしてみた)のしわしわの手が整理券を差し出してきて、ふと我に帰る。整理券がもらえたということは、餅はここまでは足りるのだろう。胸をなでおろした。まったく 忙しい。



周りを見渡すと、一人で並んでいるのは よく駅前に座ってるおっさんか私かというくらいだった。みんな親子だったり夫婦だったり、家族総出で整理券をもらう人もいた。おしゃぶりをくわえた赤子を抱えたお父さんが「この子の分の整理券、もらってないんですけど」と、餅つき実行委員会のおじいさんに詰め寄る。実に がめつい。乳飲み子を山車に自分で二人分食べようだなんて、そんな小賢しい大人に私はなるまい。。







時刻が近づいてきた。高まる緊張感。
地域の町おこしみたいな意味も含めてのお祭りらしく、法被を着た年齢層の幅広い男たちがわらわらと、臼を囲み始めた。蒸されたもち米が投入され、民謡風の餅つき歌を歌いながら、男たちが餅をつく。どうやらわれわれ一般人は、餅をつかせてもらえるわけではないらしい。立ち上る湯気と、掛け声。見とれていると、割とあっという間に「できました」とのこと。。






くる。
ついに、奴がくる。


「つきたての おもち」が……….
















キターーーーーーー!








男たちが必死についてくれたおもちは、想像の中の 「つきたてのおもち」をはるかに超える美味さだった。柔らかく、そして程よい弾力。お米の甘みが、口のなかできな粉と絡み合う。こしあんの圧倒的な甘さのなかでも、餅の甘さが際立つ。美味しいものは誰が作ったからとか、誰と食べるからとか、そんなのは嘘だ。一人で食べたって、美味いものは美味い。地域が復興して餅つき大会を月に一回やってくれるなら私はこの地域のために身を粉にして働こうではないか。そのぐらい美味しい。生きててよかった。アーメン。


公園の梅の木の前で、駅前のおっさんとベンチに座りながら食べたこの餅の味を、この瞬間を、一生忘れない気がする。おっさんには、いつのまにか 同胞意識を持たれている。それでもいい。もうなんでもいい。もうマブだ。






将来、
つきたてのお餅やさんに なろ。



摩吏紗