SNS、ことツイッターが、わたしの時間を蝕んでいるということは、とうに知っている。
坂本龍一さんが以前なにかのインタビューで、世界中の動向を見切れるわけがないのに、リミットがないから延々とスクロールして見れて、インプットだけに時間を取られちゃう。だからアウトプットするならインプットの時間を減らすんだとおっしゃってて、はい…となりました。



わたしは多分、みんなが何気なく、なんでもない日常を丁寧に紡ぐ行為がものすごく好きなのだ。人間の、人間らしさがすき。少しダメで、だらしなくて、欲に弱い「アダムとイヴみ」があればあるほど面白くなってしまう。
ツイッターにおいては、呟くことは瑣末であればあるだけ、いい。だいじなのはその瑣末なことを、どれほど美しい瞬間として正しいことばで他者に共有できるか、ということだ。そして、そういうのが好きな人は結構多い。
ツイッターのアイコンを、白背景にドライフラワーが一輪、もしくは下手ウマで味がある線画の似顔絵、あるいは青とか素敵なムラサキ一色、HNを「、」とか「。」とかにしてるようなツイッタラー(極論です) がよくバズるけれど あれは、なんでもない日常の中の心がホワッとした瞬間とか誰もが経験するような小さな胸の痛み、そういう瑣末だけれど尊い瞬間みたいなのを、じょうずな言葉で丁寧に紡いでフォロワーに想像をさせるからだ。みんな糸井重里であり、みんなよしもとばななだ。
ツイッターというのは人々の叡智のかたまりなので日々進化しており、「丁寧に日常を紡ぐ系」は一人フォローすると芋づる式におススメされてそのまま100人くらい似たような感性の人が現れてフォローしてしまう。この人は写真から可愛いひとなのがわかる、とか、この人の旦那さんはきっと素敵なひとだ、とか、この人の言葉は好き、とか、この捉え方好き、という目線で、わたしは日々ツイッターの140字に目を凝らす。ことツイッターにおいてだけだけれど、素敵な文を書く人は、ミニマムで無駄がない素敵な部屋に住んでいるし、なんだかどうしようもなくおしゃれな弁当箱を使ってるのはなんでだろう?





おススメのアカウントさんをすこし紹介。


これはきっとわたしの好みであり、ちょっとした偏見かもしれないけれど、本をよく読む人なのは間違いないだろうとおもう。わたしがすきなツイッタラーさんは小説家でいうと、(敬称略)よしもとばなな、島本理生、三浦しをん、原田マハ、西加奈子、恩田陸、桜木紫乃あたり。たまーに、星新一、石田衣良。森見登美彦はちがう。東野圭吾もちがう。沼田まほかるもすきだけどちがう。日常紡ぐ系ツイッタラーではない。





変わり種。ツイートもエッセイもいつも腹抱えて笑わせてもらってるお方。






わたしはというと、ほんわかした日常を愛する一方で社会や人間への毒も持つという性格ゆえ、つい社会風刺とか自虐とかしたくなってしまうのだけど。ほら、高学歴アイドルが政治思想とか自分の意見をはっきり言ったら生意気な!とか影響力がある人なんだからそういうのは…みたいな不穏な空気が日本にはあるじゃないですか。わたしはそれ、そのうち淘汰されたらいいなぁとおもいます。みなまで言うな。多様性の尊重。賢い人ほど、間違いを認めた時の撤回も早い。

そういうクソリパーの心理も含め、稲川淳二ばりに醜いな〜汚いな〜怖いな〜といいながら、えぐみをもったまま懸命に生きる人間を見ることがやめられないのが、わたしです。同じような人います??もしいたら、沼田まほかるの『彼女がその名を知らない鳥たち』という本を全力でススメます。映画も阿部サダヲさんと蒼井優さんで実写化されたものがもうレンタルできるんですが、わたしの好きな邦画ランキング1位を奪取した映画です。これほどまで映画と原作が一致する作品も珍しいとおもうので、映画でも小説でも構いません。
これを観ても、しばらく人間について考えてしみじみしていました。ほんとうに、人間らしさというものをかわいがる行為に終わりはなく、「にんげんだもの」といえばわたしか相田みつをかというくらいだ。意味がわからなくなってきた。このあたりで。



にんげんだものにんげんだもの
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まりさ