お月様って なんだかいつも 違うとこにあるきがしている。




前にもブログに書いた気がするが、わたしは 宇宙というものに、からっきし興味がない。中学の時は、色白で優しい理科の先生が好きでばかみたいに丁寧にノートを取っていたけど、天体は東から昇って西に沈むってことと、夏と冬で日照時間が違うことしか覚えていない。あと、わたしが丁寧に時間をかけてとったノートが、紙面が真っ黒になるくらいびっしり書き込まれすぎていて「気持ちはわかるけど、すこしわかりにくいね、矢印とかつかったらどう?」とこれまた優しくアドバイスをもらってしまったことと、わたしにばかり 特に優しいと思っていた 先生が、成績学年1位の女の子(わたしはこの子に中学卒業まで勝てず 始終2位だった)に 同様に優しくて、わたしと話しながらも その子の、色ペンを使って (スカスカで)鮮やかにとられた天体図のノートに、花マルをつけていた瞬間も、覚えてる。この先生から「浸透圧」を教わった状況も、覚えてる。まったく、人間の脳みそなんて 本当にてきとうだ。いらんことばかり覚えている。




そう、こんなだから、
いつも別のところに見える月、それも白くひかえめに 小さかったり、赤くてとんでもなくおおきかったりする、その月の真意がわからない。だから毎晩、月を探すのにぐるりと360度回るはめになる。今のところ、自力で 調べたりする気も ふしぎと ない。また誰かに 教わりたい。コレは あの人に教わったことだ、って、その人の記憶つきで。その方が 忘れないよね。






ここ何ヶ月かのテーマは "記憶"なんです。



前回も、匂いの記憶を書いた。
わたしは、記憶の中に沢山のものごとを 標本にして、しまってある。断片だけでも 鮮やかに とっておきたい。
これは、あそこで拾ったものだ、と。







亡くなった祖父は、道で瀕死の蝶やセミを拾ってきては、幼いわたしに見せてくれた。まだ羽ばたくもの、もう うごかないもの、羽がすこし 欠けた アゲハ蝶、最後の断末魔を聞かせる アブラゼミ、そういういろんな虫たちが 祖父の手の中で息をひきとると、かれは それを 味気ない菓子の空き箱に 無造作にしまっていた。たまに訪れてはそのなかを 見るのを たのしみにしていたわたしのために、きっと まだ飛んでた蝶も 捕まえたり、してくれていたんだろう。不思議と腐ったり カビたりすることのなかった あの虫たち。どうってことのない菓子箱。テレビの上に置かれた石川さゆりと握手する祖父の写真とわたしの赤ん坊の頃の写真。畳と揚げ物の匂いが染み付いた 懐かしい 祖父の部屋の匂い。





わたしの標本のイメージは、ここから来てる気がしている。
標本の、標本。









祖父はほんとうに、いろんなものを 遺していってくれたなあ。




じーじがさいごまで 財布に入れて大事に持ってくれてたチェキ、いまはわたしが持ってるよ。








まりさ