10年2人暮らしをしていたオババ。
明日死なれたら悔いが残るな、と思うので、定期的に遊びにいくようにしています。




今日は、軽井沢でライブがあって、帰りが予想以上に早く、日も高いうちに 東京に着いたので拍子抜けして、ふっ と、会いに行こうかな、と思い立った。軽井沢の駅で何の気なしにひとつだけ買った おぎのや の かまめしを あげちゃおう、と思った。なんか好きそうだ、かまめし。ファンのかたも美味しいって言ってたし。そう思ってすぐ電話して、1ヶ月ぶりくらいか、遊びにいったのでした。




いつぞやにわたしが 気まぐれで買って、そのうち枯れそうになって放棄したミニバラを、オババは地面に植えて 適当に、でも根気強く育てていた。ものすごくおおきくなっていて 香り高く咲いていて、目を疑った。わたしは 花が好きで買うのに 全然育てられない、すぐ枯らす。あの強いガジュマルでさえも枯らしそうになって オババに預けたのだが、それもすごく成長していてびっくりした。子ども二人に孫一人を育てただけある。


悪人顔で 可愛く鳴くみーこちゃんも、元気にパトロールしてくれていました。



かえりには
オババが漬けた梅酒と、お下がりのハンドバッグとハンカチをお土産に持たされました。



そういえば 一緒に暮らしていたとき、毎年青い梅がいつまでも テーブルの上に 面倒くさそうに乗っかっていて、気が付いたら無くなっていた。キッチンの床下の収納に ぬか床と一緒に 重々しいビンがいくつもあるのはなんとなく知っていて、またある時、梅酒を作ってるのよ、一応。とオババ本人が言っていた。夕食のときに お猪口一杯の梅酒をちびちび飲んでは、少しずつ毎日飲むのは健康にいいの、と言っていたこともあった。そういうバラバラした記憶が今日 やっと1つのストーリーになって蘇り、そういえば梅酒漬けてなかった?と聞いてみたら、床下から2012年から毎年分の梅酒の大きなビンがいくつも出てきて笑ってしまった。本人はぜんぜん飲まないし あげる友達も親戚もどんどん死んでしまい、溜まる一方だから、もう今年はやめようかと思ってたの、と言った。






成仏してゆくひとがあれば、当然、成人してゆくひともいる。






あげる人がいなくて、というオババは、三人いる孫のうちの 二人が 成人していることを忘れていたらしい。


私もう、25なんですけど、と言って梅酒をストレートで呷る私を、オババは 困ったように笑いながら見ていた。でも酒飲みは だめよ、と言った。


5年あまりお酒を嗜んできてわかったことなんですけど、どうもわたしは お酒が好きじゃないらしい。最近は専ら、得意でもないし 美味しさもわからないので コーラを飲んだ方がマシ、という人に成り下がっている。だけど、オババの梅酒は、高いご飯屋さんで出てくる にごりなんとか とか 黒糖の〜とか ブランデーで〜とか、趣向を凝らした梅酒よりも 簡単で 素朴で 甘くて、美味しかった。お酒を純粋に 美味しい、と思ったのは 初めてかもしれなかった。

これからはわたしがのむし、いとこものむし、なんなら二人でここで酒盛りするから、今年も漬けておいてね、と言って帰ってきた。


母といい祖母といい、うちの家系の特徴は本当に無欲なところだ。祖母はともかく、母まで最近は終活、終活、と言って、家に遊びに行くたびに物が減っているし、どんどん私にものやお金をくれるので、そんなにこの世に未練がないのかと、なんだかかなしいような、変な気持ちになる。

と同時に、誇らしいような、尊敬の気持ちもある。

めいっぱい生きて、子どもを産んで、大事に育てて、もうやりきった、子どもたちが健康で幸せなら 自分はもう何もいらない、という姿勢を、小さい頃から見て育ってきた。祖母も、母もそうなのだ。それは 成長するにつれ どんどんリアルに大きさを実感する 愛のかたち だった。自分もそうなりたいと、いつの日からか 思うようになった。




人生には色んなやり方がある。
60過ぎてからセカンドライフ、というものすごくアクティブな方もいる。素晴らしい事だ。
でも、もうどんな形でも、自分が、本人が、納得する人生なら なんでもいいんだと思う。正解はない。




「あ〜たのしかった」って、あの世で言えるように 生きたい照れ






オババの梅酒から派生し過ぎました。アハハ


まりさ