2018年5月7日に入院し、
5月8日が下大静脈平滑筋肉腫の初発の手術でした。
一年前、何をしていたかな…と、iPhoneの写真を遡ると、
一年前の今日、2018年5月4日は、
その日が命日の祖母に手を合わせに行ってました。
祖母が眠る場所。
新緑が映る池で、寄り添う二匹。
昨年、手術を前に、色々と思うところがあったのでしょうね。
大好きだった天国の祖母へ手を合わせ、お願いやお話に行ってました。
今年のGWも祖母の命日に合わせ、子ども達を連れて手を合わせに行って来ました。
新緑が揺れる自然深き場所へ。
祖母は、祖母なりに苦労した人だと思います。
昔も現在も、苦労していない人はいなくて、
皆、人の見えないところで、影ながら、
人に打ち明けられないような事を心に抱え、
毎日を生きているのだと思います。
一人一人がそれぞれに、きっと。
そして、祖母もそんな人だったと思います。
そんな祖母ですが、孫の私の前では、
脳梗塞で不自由になった手足で、
「よく来たね。」
と、いつもあたたかく迎えてくれ、
穏やかで優しく、微笑みを絶やさずに接してくれました。
「優しい子だね」
と、周囲の人達や自分自身も否定する様な生き方をしていた私を、
いつも無条件で肯定してくれた数少ない人でした。
早くに伴侶を亡くし、ずっと一人暮らしでしたが、
広い大地に一輪咲き、静かに揺れる草花の様な人でした。
そして、もう一人の祖母も。
生まれた時から90代で亡くなるまで同居していた父方の亡き祖母も、
敬虔な浄土真宗の信徒さんで、
早くに伴侶である祖父を亡くし、同居でしたがいつも一人でした。
人生の後半は、畑かお仏壇の前に居て、
畑仕事や草むしりしてるか、いつも静かに祈っている、穏やかで優しい人でした。
そんな二人の祖母から、
どうして、こんなに気性の激しい、心揺れやすい孫(私)が生まれたのかしら?
と首を傾げてしまうのですが……
これから歳を重ねるにつれ、
もう少し穏やかに、もう少し落ち着いて、
二人のおばあちゃんの精神や生き様を受け継いで行けるようになりたいな…と思っています。
必ず会えるから、会いに行くから、
それまで、地上で生きる私たちへ眼差しを向け、
いつも見守っていて下さい。
そして、昨年夏に記した私の納骨堂も、
いよいよ、完成しそうです。
納骨堂に掲げられる主イエス・キリスト像ですが、
掲げられる前、偶然、その場に居合わせたて、
私や御婦人がキリスト像を清拭しました。
顔、首、手の傷跡、指先、
胸、お腹の傷跡、腰、足、足先まで、
丁寧に清拭しました。
そして、私が眠る納骨堂へ十字架が掲げられる瞬間も、
偶然、見ることが出来ました。
自分が眠る場所へ……幸せでした。
私が眠る場所は、主イエス・キリスト像の左下、一番下の場所を選びました。
手を合わせる時、床に座り、十字架に掲げられた主イエス像を見上げる場所です。
4人分入れるので、家族が希望すれば、家族も同じ場所へ入れます。
悪性腫瘍が発覚した時期と、納骨堂の募集が同じ時期だったので、
生前に決められて良かったです。
私が祖母が眠る森の納骨堂へ足を運び、心落ち着くように、
私が眠る場所もきっと、誰かにとって心落ち着く場所になると信じています。
まだまだ先の話ですね…すみません。
今日が命日の祖母に手を合わせたことがきっかけで、
お話させてもらいました。
耳を傾けて下さり、ありがとうございます。
いつも抱かれ、囲まれ、光と希望に満ちた場所。
今日も明日も、ずっと、
少し先に天の御国へ旅立たれた方からの眼差しがあります。
見守ってくれています。
今も、いつも、側にいてくれています。
今週末の守りと支えを。