”日本初「サルコーマセンター」誕生!” | Renge☘️下大静脈平滑筋肉腫

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2018年5月下大静脈平滑筋肉腫を地元病院で切除。6月K病院の肉腫科と医療連携。2020年3月再発。下大静脈を人工血管、肉腫と右の腎臓と副腎摘出。10月O大呼吸器外科で肺転移切除。12月睡眠時無呼吸症候群。2023年子宮内膜異形増殖症。5月右肺転移手術。2024年5月左肺転移切除

東京行きのフライト。上空より。


2月22日と23日、東京の一橋講堂で開催された

「日本サルコーマ治療研究学会学術集会」

へ参加して来ました。


患者の私が唯一、肉腫に関する研究や臨床のお話に耳を傾けることが出来る場が、

「日本肉腫学会」と「日本サルコーマ治療研究学会学術集会」だと思っています。


昨年、下大静脈平滑筋肉腫に罹患したばかりの頃、

自分の病の肉腫の話は、どこへ行っても聞け無い、情報が無い、書いて無い、誰も知ら無い…

そんな孤独と絶望感の中、

肉腫の学会に集えば、

肉腫の研究や治療に取り組んでおられる方々のお話が聞ける…

そんな想いと期待と願いを胸に、勇気を出して集いました。

私がまだ平滑筋肉腫に罹患していない頃に開かれた、第一回のサルコーマ学会は、国立がん研究センターの先生方、

第二回目の今年は、がん研有明病院の先生方が中心になり開催されていました。


2012年、がん研有明病院にサルコーマセンターが設立されたお話の時に、

がん研有明病院の先生が、吉野ゆりえさんのお名前を出されました。

がん研有明病院


吉野ゆりえさん…御存命でしたら、きっと肉腫の学会へ集われたのでしょうね。


お写真でしか見たことないですが、一目見てパッと目を引くような、とても存在感のある方だったのでしょうね。

目の前にいらっしゃったら、近付けないほどのオーラがあった方かもしれません。


ゆりえさんがもし御存命でしたら、学会会場の椅子に凛とした堂々としたお姿で座り、

耳を傾けておられる姿が、会ったことのない私でも目に浮かぶようでした。


昨年、下大静脈平滑筋肉腫に罹患し、

似た箇所に平滑筋肉腫の腫瘍が出来た、

後腹膜平滑筋肉腫の吉野ゆりえさんとkiaraさんの存在に励まされることがありました。

そして、今回の学会では、kiaraさんの御家族とお話することが出来ました。


「下大静脈平滑筋肉腫、同じですね」


と言って下さり、益々、kiaraさんの存在が励みになりました。

肉腫患者としてのkiaraさんの生前の歩みなど、色々なお話に耳を傾けている時、

まるで側にいらっしゃるような、

3人で話しているような感覚になりました。

学会に参加し感じた時の気持ちを、吉野ゆりえさんのブログにコメントしました。

コメントが承認されることは無いのかもしれませんが…。


(ゆりえさんのブログへのコメント)


はじめまして、2018年に後腹膜臓器の下大静脈原発の平滑筋肉腫に罹患したものです。


突然、平滑筋肉腫と告げられ、

聞いたことのない、誰も知らない、

情報や書籍がほぼ全くない…深い孤独と絶望感の中、

ゆりえさんの『三六〇〇日の奇跡 「がん」と闘う舞姫』を読み、随分と励まされました。


先日、日本サルコーマ治療研究学会学術集会へ参加して来ました。

御存命でしたら、きっと参加されていたであろう学会だと思います。

きっと、見守って下さっていましたよね…?


2012年にゆりえさんとサルコーマセンター設立に尽力されたがん研有明病院の先生方が中心となって開かれました。


学会の中で、サルコーマセンター設立のお話の時、吉野ゆりえさんのお名前を聞くことが出来ました。

患者成り立ての私は、「あ、吉野ゆりえさん」と驚き、

長く患者や患者御家族の方は、「久しぶりに吉野ゆりえさんのお名前を聞いたよ」と懐かしそうでした。


吉野ゆりえさんがサルコーマセンター設立、全国第1号でしたが、

あれから、全国にいくつかサルコーマセンターが設立され、

これからも全国に出来て行くようです。


希少がん、肉腫治療が今後、益々進んで行くことを願っています。


天国から皆さんと、見守っていて下さい。

いつか皆さんに会える日まで、がんばります!

(『三六〇〇日の奇跡「がん」と闘う舞姫』 著書:吉野ゆりえ   発行:星槎大学出版会)


「大丈夫。大丈夫よ。」


と、肉腫患者、患者御家族、仲間、

研究者の方々、臨床医の方々、

今、生きて、日々、肉腫という病と向き合う私たちに、どうかエールを送っていて下さい。

先日、日本サルコーマ治療研究学会の会場で、

私の故郷にサルコーマセンターが設立されることを知りました。


「え…サルコーマセンターが?

身近に何で無いんだろう…と、昨年から念願だったサルコーマセンターが…出来るの?」


と、突然の朗報に信じられない気持ちでした。

そして、「この喜びを誰かに伝えたい!」

と、患者御家族のところへ飛んで行きました。


「聞いて下さい!

郷里にサルコーマセンターが設立されるそうです!」


と興奮して伝えると、


「そうだよ〜」


とご存知のようでした。

帰りのフライト。上空より。



ゆりえさん、今後、きっと、日本全国47カ所にサルコーマセンターが設立されるのでは…と私は期待しています。


そう、47都道府県、全ての県にサルコーマセンターが設立される日が来るのではないでしょうか?


現時点で、私はサルコーマセンターが設立される病院にはかかっていません。

ですが、県内、そして、近隣にお住いの肉腫患者さんにとって、

サルコーマセンターの存在は、窓口や助けになってくれると信じています。

島のある方角


学会2日目、私の隣に座っておられた先生が、近隣の県在住の方でした。


「どちらの病院ですか?」


と伺うと、「島の病院です。」と言われました。


遠く離れた島から…

年間の肉腫患者さんはお一人くらいだそうです。


年間お一人の肉腫患者さんの為に、島から遥々東京の肉腫の学会へ…

心を打たれました。


島の肉腫患者さん、心細いだろう…。


私も告知を受けたばかりの頃、


「この街に、私と同じ病の人はいるのだろうか…?誰もいないの?まさか、一人?」


と、病院帰りの土手を歩きながら川の水面を見つめ、

今まで味わったことのない深い孤独に陥り、

全てを終わりにしたら楽になるだろう…

と、川に飛び込む誘惑にかられたことがあります。


あの瞬間、衝動的に川に飛び込んでいたら…

今、生きていて、本当に良かったです。

そう信じ、生き続けています。



これが、「希少がん」の孤独ではないでしょうか…。


だから、亡き同病の後腹膜平滑筋肉腫のkiaraさんやゆりえさんに、

心細くて、すがってしまうのかもしれません。


東京で開かれた肉腫学会・サルコーマ学会の恵みが、全国隅々まで、

そして、年間お一人しかいらっしゃらない島の肉腫患者さんの元にまで、届いてほしいです。


日本全国にサルコーマセンターが設立されたら、

少しは違ってくるのではないでしょうか…。


肉腫という病、そんなに甘くないことは、皆様の御経験、お話から感じています。

ですが、どうか、無から有を、不可能を可能にして下さい…お願いします。 

2012年に全国に初めてサルコーマセンターを設立してくれたお一人の吉野ゆりえさん、

全国、どこに住んでいても、肉腫患者の私たちが、安心してより良い治療を受けれる日が必ず来るよう、

天国からエールを送っていて下さい。


私も寿命を全うし、天国にいる皆さんへ、沢山のお土産話を持って行けるように、

日々、がんばって生きます。


地上で生きる私たちを、どうか見守っていて下さい。

 おかげさまで、本日がん研有明病院で行われました「サルコーマセンター」設立記者会見が終了しました!

 会見終了後、2階にあるサルコーマセンターを見学に。

 受付に“サルコーマセンター Sarcoma Center”と書かれているのを見た時には、涙があふれてきました(涙)
 2年前、アメリカ最大のがん専門病院であるMDアンダーソンがんセンターのサルコーマセンターに視察に行った際に見た光景を、そこに見ることができました!

 このままでは、肉腫(サルコーマ)は「忘れられたがん」のままになってしまう・・・現在の、そして未来の肉腫患者さんのために立ちあがらなければ!と考え、一人で立ち上がったのが4年半前。
 活動をしているうちに、同志に出会い、理解ある医療者に出会い、賛同してくださるサポーターに出会い…やっと今日の日を迎えることができました。

 仲間のみんな、ありがとう!支えてくださった皆さま、本当にありがとうございますm(__)m

 これはまだスタートです!

 日本における肉腫(サルコーマ)診療がより改善され、一人でも多くの「いのち」を救えるよう、これからもみんなで一緒にがんばりましょう(o^-’)b              


[2012年8月17日  吉野ゆりえさんのブログの言葉]

(『三六〇〇日の奇跡「がん」と闘う舞姫』 著書:吉野ゆりえ   発行  星蹉大学出版会)