再開発ビルの片隅で | さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

酒場であったあんなこと、こんなこと。そんなことを書いてます。ほとんど、妄想、作話ですが。

「今日は電車で通勤し、帰り際久々に恵比寿で呑むか。」と、その日俺は、車ではなく電車で職場に向かった。
そして仕事を終えた帰り道、いくつかの東海道線を見送り、わざわざ恵比寿直行の湘南新宿ラインを待って乗込んだ。
好調に走り出した湘南新宿ラインだったが、戸塚も過ぎた頃、まだ次の横浜駅に到着したわけでもないのに、線路の途中で停車した。
「停止信号です。」
とアナウンスがスピーカーから聞こえてきたと思ったら、その数秒後には
今しがた横浜ー新川崎間で人身事故があったとの情報が伝えられた。
運転見合わせとなることが予想されます、と伝えられたかと思ったら、数分後には予想通りの事実となった。
前向きに物事を考えるのであれば、途中何度か停止しながらも徐行運転ながら、電車は少しずつ先に進み、本来停車予定外の東戸塚の駅に停車してくれ、さらにそこで乗客の乗り降りを特別に許してくれたのは幸運だった。
今しがた起こったばかりの出来立てほやほやの人身事故だ。
これから現場検証なり遺体の回収なりを行う事を考えると、アナウンスでは「暫く東戸塚駅に停車致します。発車まで今暫くお待ちください。」とは言っているが、あと少なくとも2時間は動かないだろう。
過去の経験上、こういう時は電車から降りるのが得策だった。
電車が停車予定外の駅のホームについているというのにもかかわらず、「ここは停車駅ではないので、ドアをお開けする事は出来ません!」と頑としてドアを開けてもらえなかった過去の経験を考えると、今回の東戸塚での特別な配慮はありがたかった。
今迄電車に乗っていた人々には電車から降りて復旧を待つ選択権が与えられ、ホームで各駅停車の横須賀線を待っていた人々には、普段なら目の前を通過していくのを指をくわえて見ているだけだった湘南新宿ラインに、長い事動かないかもしれないが、電車に乗込んで復旧を待つだけでなく、復旧した際にもそのまま乗っていてよい権利が与えられた。
こんな経験は滅多にでき無い。
俺は本当に憑いている!
寛大な措置をとってくれたJRに感謝し、俺は、今迄降りた事の無かった、はじめての街、東戸塚へ降り立った。

改札を抜けて外に出ると、東口と西口に別れていた。
どちらが飲屋街なのだろう?
とりあえず東口のほうに向かってみたが、目の前にそびえ立つ駅直結のデパートの他、目に入るのはどれも比較的高層のビルばかりで、パッと見、飲屋街なるものは見当たらなかった。
いくつか高層ビルには何軒かの全国チェーン展開する居酒屋が入っているようではあったが、それらは別に東戸塚じゃなくたって入れる。
東戸塚ならでは!の店に入っておきたかった。
東口は諦め、西口に向かう。
しかし、コチラも似たようなものだった。
やはり色々なテナントが入ったビルが駅から直結しており、地面を一面タイルで敷き詰められた公園のような広場が存在した。その片隅に喫煙所が設けられ、地面に書かれた白枠の内側で何人かが窮屈そうに煙草を噴かしていた。
それに隣接しておかれたジュースの自動販売機にはなぜかスピーカーが存在し、どこぞのFM放送が絶え間なく流されていた。どうやら自販機にはFMチューナーも内蔵されているらしかった。
少なくとも俺はそんな自動販売機を見たのははじめてだった。
喫煙所をはじめ広場は高台に位置し、下を走る線路や駅のホームを見下ろす事ができた。
その上を見渡すと、東口からはデパートに隠れ気付かなかったが、30~40階はあるんじゃないかと思うくらい巨大な高層マンションが二棟並んで左右対称性に鎮座していた。

東戸塚。そこは、近未来都市だったのだ。

俺は、随分前に流行ったモビルスーツ映画にでてきた宇宙開発都市を思い出していた。
宇宙に浮かぶ人工巨大コロニーの中に、こんな風景をみたような気がした。
もしかしたら、かつてはこの辺りに存在した赤提灯の居酒屋なんてものが一掃され平坦化された跡地に、このクリニックからスーパー、レストランまでなんでも揃ったテナントビルが出来たのかもしれない。
ビルの中を覗けば、もしかしたら一軒くらいはチェーン店とは違った立ち退きにあった昔からの居酒屋が店舗を変えて存在しているのかもしれなかった。
だからといって、そのビルに入って行くのは気が進まなかった。
フレンチ、イタリアン、中華に和食、飲食店のるつぼ的フロアの一角にある「トイレは店をでて突き当たりの回転寿司さんを左に折れた奥に御座います。」みたいな居酒屋なんてまっぴらだ。
実際は違うのかもしれないが、そんな気がした。
喫煙所の背後にはコンクリートの階段があって、ずっと下迄続いていた。
駅のホームを見下ろすと、まだ俺がさっき迄乗っていた電車は動かずにそこにいた。
駅のホームに放送が流れた。
もしかして復旧の目処がたったのか?と聞き耳を立てたら、目の前で煙草を吸っていた身長150cmくらいの壮年男性が身体には似合わない大きな声で携帯電話で話し始め、流れて来る放送は掻き消された。
放送が終わるとほぼ同時に、彼の電話も終わる。
放送は何を伝えていたのだろう。
しかし、それは繰り返される事は無く、かわりに聞こえてきたのは例の自販機のスピーカーから流れるどこぞのFMのDJの声だった。
見下ろした電車にはまだ動く気配は認められなかった。
俺は、階段を降りてみる事にした。

階段は階下の駐車場へと続いていた。
さらに下に降りると一般道路に通じ、それは線路下のトンネルに続いていた。
トンネルを通じても線路の向こう側にいけるようだった。
トンネルと反対側を見てみたが、高層ビルとは対照的な民家が散見されるだけで、とても呑み屋があるようには思えなかった。
俺はトンネルを潜り向こう側に出てみる事にした。
駅から東口のデパートに続く渡り廊下から眺めた分には確認出来なかったが、見えなかった世界があるかもしれない。
トンネルを抜けると、はたしてそこには、すこしホット出来る風景が待っていた。
道路に面して立つ、比較的低層建築のビルの一階にはコンビニエンスストアがあり、ドラッグストアやら喫茶店やら酒屋もあった。俺が捜している感じとは違ったが、昭和をイメージした、軒下にそれっぽい提灯を掲げるモツ焼き屋やら居酒屋も目に入った。

もしかしたら何とかなるかもしれない。
俺は一筋の期待を胸に、街の奥へと向かって行った。

さてと、今夜はどこ行く?

来るお客さんの顔ぶれはほとんど決まっている店なのだろうか?
「ごめんください。」
と、店を覗いた俺にお店の大将はじめ、既にカウンターで呑まれていた先客さんが、一斉に振り返り俺を見るとビックリしたような不思議そうな顔で俺を見つめた。
「あの、一人なんですが、いいですか?」
そんな顔で見つめられこちらもきまり悪く、そうおずおずと告げると、大将がどこかホッとした笑顔になると、どうぞ、と中へ通してくれた。

さてと、今夜はどこ行く?

はじめてのお店だし、もしかしたら、常連さんの席ってのが決まっているのかもしれない。
俺は入り口に一番近いカウンターの端に腰を降ろした。
「そんな端っこじゃなくても・・・どうぞ中へいらしてください。」隣に座る常連さんとおぼしきマイボトルを目前に携え、お湯割りにして呑まれていたお年を召された老人がそう俺に笑いかける。
「いやいや、私はここで。」
そう告げると、そうですか、と、笑顔を見せ、カウンターに置かれていたポットやらボトルを、俺とは反対側に移動させ、俺の前を広くしてくれた。
「どうもすみません。」
そう頭を下げると、いやいやとむこうも頭を下げられた。

さてと、今夜はどこ行く?

とりあえず熱燗をたのみ、それを出されたお通しをつまみつつメニューをみる。
メニューは色々揃っていたが実際頼んでみると、今日はできないというものが多かった。
結局出来るものを訊いた方が早かった。

さてと、今夜はどこ行く?

カンパチのお刺身にホッケ焼きを頼んで、一服する俺に隣の老人は大将の様子をうかがいながら俺に顔を近づけると小さな声で耳打ちするように言った。
「昔はね、もっと色々そろってたんですよ。あの冷蔵ケースなんて魚でいっぱいだったんだから。それが最近大将ったら手ぇ抜いちゃって。ほとんど仕入れなくなっちまった。」
「あら、そうなんですか。」
それ以外答えようがなかった俺だが、そう言う老人の前に置かれた鮪のお刺身はなかなか立派なものだった。

さてと、今夜はどこ行く?

それから暫くして届いた俺が頼んだカンパチのお刺身も、これまた立派だった。
「いやあ、十分に美味しそうじゃ無いですか!」
そう告げると、彼は「いやいや。」といいながらも、まるで自分が誉められたみたいに嬉しそうに笑った。
それから暫くは会話する事も無くお互い黙って呑んでいた我々だったが、なんというか、話しかけられたいオーラっていうのは感じるものだ。
逆に言うと話しかけたいがそれも躊躇されて、なにかきっかけを待っているといった雰囲気。
俺は、お酒が入ってきた勢いもあり、二本目の熱燗をお願いしたあと、老人に話しかけていた。
「実は私、こちらに伺ったの、っていうより東戸塚で降りたの、今日がはじめてなんですよ。湘南新宿ラインが人身事故の影響で止まりましてね、幸いにも東戸塚で降りても良いっていう。この際とおもい降りては見たんですが、降りてびっくりでしたよ。全然飲屋街なんて見当たらないじゃないですか。
ちょっと駅からはなれればあるかな?と思い彷徨ってみたら、偶然コチラが目に入りましてね。コレはいい感じじゃないかって、早速入ってみたわけです。」
そう話す俺の話をウンウンと頷きながら聞き終えると、
「そうでしたか。それは災難で。しかしよくぞこんなお店をみつけられましたなあ。」
と笑った。
「いやあ、こういう事に関しては鼻がきくっていうか・・・・」
そういってはにかむ俺に老人はどこか嬉しそうに笑った。
それから、ふと我に返った様子で「そうかそれで!」と呟いた。
辺りを見渡し、納得したように頷くと、俺を見つめ、通常この時間帯は常連さんでけっこう店の中が埋まるものなのだが、こう空いているのはその影響でみんな帰って来れないからのだな。かわりにこうして新しいお客さんも見えて、いやはや何が幸いするか分からないものだ、と嬉しそうに笑った。
それから、それが彼の癖なのか、また、大将の様子を伺い、大将の目がテレビの方を向いているのを確認すると、そっと俺に顔を近づけ耳打ちするように、ここはオーナーがおもしろい人なのだ。まだ見えていないけれどそのうち現れると思う。あの人が面白い方なのだ。この大将は、どうも接客がなってない。こうしてはじめてのお客さんがいらしているってのに、自分はテレビなんか見ちゃっているのだから。だいたい店にテレビを置くってのも私はどうかと思いますよ。個人的な意見で恐縮だが、私はどうも店のテレビとか、入り口が自動ドアとかって言うのは気分が悪い、幸いこの店は自動ドアではありませんがね。まったく大将もテレビなんか見てないで、手があいているのだったらこっちに来てお客さんと話すればいいものを、本当にもう、そっけなくっていけない。これだから客が減ってしまうのだ。と言うような事を小声で話された。それから、大将がそうしないのは自分のせいだといわんばかりに、
「ごめんなさいねえ。」
と頭をさげられた。
まったくお店の接客が悪いとは感じていなかったし、コレはいい店に巡り会ったなと思っていただけに俺は慌てて「そんなことありませんよ。」と、それを否定した。
それを言い終えるとほぼ同時にホッケ焼きが届いた。

さてと、今夜はどこ行く?

予想を超えて美味しそうなホッケを前にして
凄いっすね!
目にした途端そう声を上げる俺に、老人は、いやあ、と微笑んだ。
予想外に大きく立派なホッケ焼きを前に、どうですか、ちょっとおつまみになりませんか?と薦めると、隣の老人は目を細めた。
「お気持ちは嬉しいのだけれど、歳をとると食も細くなりましてねえ。見せて頂くだけで十分です。」
そんな老人に恐縮しながら箸を付けたホッケだったが、見た目同様、実に美味しい焼き加減だった。
すっかり二本目の熱燗も空いてしまった。
もう一本とも思ったが、これ以上呑むとなんだかここでホテルを捜す事になりそうだった。
俺は、大将にレモンサワーをお願いした。
幸いにもまだまだホッケは残っていた。

さてと、今夜はどこ行く?

残りのホッケをつまみつつサワーをゴクゴクと呑む俺を老人はニコニコと見つめていた。
「おいしいですか?」
そう訊かれ俺は
「はいとっても。」
と、ホッケに目をやりながら返事をした。
視界の脇に、どこか満足そうにゆっくり頷く老人の笑顔が映った気がする。

さてと、今夜はどこ行く?

時計を見るともう入ってから二時間が過ぎようとしていた。
そろそろ電車も動き出した頃かもしれない。
俺は
「今日はどうもありがとうございました。そろそろ行ってみます。」
と老人に挨拶すると会計をしに大将の元に出向いた。
「どうもありがとうございました。」
そういって大将が値段を告げる。
思ったより随分安く、確か三千円かそこらだった。
袂から財布を取り出し、払おうとしていると、カウンターで呑まれていた老人が立ち上がって俺の方に向かってきた。
なんだろう?
と訝しげにしている俺を余所に老人の目は大将を向いていた。
「ここは私に。」
いやいやそんな。
そう俺が拒もうと口を開く前に大将が言った。
「オーナーいいんですか?」
「いいんじゃ。」
そう言うと老人は俺を見据え、にっこり笑うと右手を差し出してきた。

さてと、今夜はどこ行く?

※フィクション。