今日ある人がこんなことを言ってました。
ひとつひとつの物事に対して結果に拘るのは「結果主義」と呼ばれるかもしれんけど、その結果を出さないと次の過程に進まれへんとしたら結果を出すことに意味があるのであって、結果が出せなかったら何の意味もなく今までの努力は無駄になったことになる。だから結果に拘るように見えるかもしれんけど、それは過程を大切にしてることになる。
言いたいことは分かるような気もするけど、エッシャーの騙し絵を見てるような気分になるのは私だけですか?
最終的な目標というのは掲げるべきではあると思うけど、それは自分が掲げた目標であって、必ずしもそこに到達することだけが幸せであるとは限らない。そこに拘った上で大事にしている過程というのは、やっぱり結果に拘ってる状態だから「過程より結果」になってるような気がします。人生はゲームでもスポーツでもないから、ゴールが別の場所に変わっていてもいいんだろうと思います。「拘る」ことを捨てた方がもっと楽に「結果」を出せるんじゃないかと…
とか言ってる私が拘りを捨てられないんですけど
ひとつひとつの物事に対して結果に拘るのは「結果主義」と呼ばれるかもしれんけど、その結果を出さないと次の過程に進まれへんとしたら結果を出すことに意味があるのであって、結果が出せなかったら何の意味もなく今までの努力は無駄になったことになる。だから結果に拘るように見えるかもしれんけど、それは過程を大切にしてることになる。
言いたいことは分かるような気もするけど、エッシャーの騙し絵を見てるような気分になるのは私だけですか?
最終的な目標というのは掲げるべきではあると思うけど、それは自分が掲げた目標であって、必ずしもそこに到達することだけが幸せであるとは限らない。そこに拘った上で大事にしている過程というのは、やっぱり結果に拘ってる状態だから「過程より結果」になってるような気がします。人生はゲームでもスポーツでもないから、ゴールが別の場所に変わっていてもいいんだろうと思います。「拘る」ことを捨てた方がもっと楽に「結果」を出せるんじゃないかと…
とか言ってる私が拘りを捨てられないんですけど