言葉にすることは簡単だけど

軽率に口にしてはいけないような
誰かに見張られているような
いつも、そんな感じがしていました

「好き」から生まれるものは…「喜び」であってほしい
私はそうでありたい
けっして「犠牲」ではなく
もちろん「嫉妬」や「憎悪」でもなく

「好き」から生まれる喜びを知ったとき
その言葉は本当の重みを持つのではないかと
その言葉を伝える術を知るのではないかと

今は、そんなことを思ったりしています