MARIO DEL MAREの海辺のスタジオから -6ページ目

MARIO DEL MAREの海辺のスタジオから

逗子駅から徒歩5分のデザインスタジオから建築家とスタッフの今を実況中継!
その時感じた事や湘南のnewsなどを紹介しています。


(※写真は妻とセーリング中のワンショット)

35歳で念願の独立開業を果たしてから、夢中で仕事をしている内に10年が経っていた。 
 その間、お客様に恵まれ、建築コンクールでの入賞や、作品を建築雑誌で取り上げていただいたり、ドリームハウスなどのTV出演4回、雑誌掲載20冊以上のPR効果もあり仕事は順調、 可愛い妻と2人の子供にも恵まれ、僕は幸せの絶頂にいた。

が、好事魔多し。
誰にでも絶対にこれだけはあってはならないっていう最悪のことってあると思う。

僕にとってのそれが起きたのだ。

最愛の妻、恵美子が先立った。

健康診断でがんが見つかって手術するもののあっという間に
全身に転移してしまって・・。
それはそれは壮絶ながんとの闘いの末ついに往ってしまった。

自分自身が末期がんで悶絶しながらも「みんなのお世話をしたい・・」と僕たち家族のことを最後の最後まで気にかけて心配しながら・・・。
病院ではなく在宅介護で看取れたのがせめてもの救いだった。

悲しみに暮れる間もなく、僕には生まれて初めての喪主としての仕事が待っていた。 
恵美子は専業主婦だったから葬儀は慎ましくやるつもりだったが
驚いたことに400人以上の人が参列してくれて、葬儀場に長蛇の列が出来た。
みんな涙ながらに恵美子さんにはお世話になりましたというのだ。
恵美子がずっと続けていたボランティア活動でお世話していた人達だった。

彼女がボランティアで色々な人たちを助けていたのは知っていたが
一円にもならないボランティアの仕事を早朝から夕方までこなす妻を 正直、僕はあまり快く思っていなかった。
だから、機会を見つけてはやめさせようとしていた。
これといった特技や資格があるわけでもなく、ただの専業主婦のボランティア。その時間で彼女が好きな語学を勉強したり資格取ったりすればいいのにとも思っていた。
しかし、彼女がいなくなったことを心から悲しんでくれる400人の人たちを前に僕は自分が間違っていたことを知った。
朝から晩までボランティアで人のお世話ばかりして帰ってきたら家族の世話をして、自分の体のことも気にかけず(あとで聞いたら実は何年も前から体調が悪かったらしい)、子供たちのことや僕の仕事の成功ばかり気にして、彼女自身の夢の話なんて聞いたことなかった。。

翻って自分はなんてちっぽけなんだろうと思った。
デザインを評価されたい、有名になりたい、お金も稼ぎたいと僕は自分の事ばかり考えていた。
素晴らしい妻に恵まれたのに大事にしなかったら神様が罰を下したのだと思った。

・健康診断を毎年受けさせていれば・・・・
・妻との時間をもっと大事にしていれば・・・

後悔と自責の念に打ちのめされて眠れなくなった。
眠れないから毎晩大量の酒を飲み、体調も悪くなった。
いつもイライラして怒りっぽくなり、仕事にも集中できなくなった。いつしか仕事も減り、スタッフも次々と辞めていった。

そんなある日、新入社員の頃、世話になったこわもての親方に言われた言葉を思いだした。 なぜそんな話になったのか話の前後は全く覚えていないのだが、こんなことを言われた。
「人間の価値は、地位や財産じゃねえぞ、葬式で泣いてくれる人の数で決まるんだ」
その時はふーんと聞き流したが、20年経ってその言葉が蘇った。

僕は人生の伴侶を失った上、自分の生き方にまで自信を失い、ますます酒の量が増えた。
そこへ追い打ちをかけるように東日本大震災が発生した。体育館で避難生活を送る被災者の方々の映像をみていた僕は、忘れかけていたゼロポッドへの情熱が僕の中に蘇ってきた。
簡単に持ち運べてどこへでも設置できる新しい建築、簡単に撤去出来て自然も傷付けない建築を作ろうと思った。
それが僕の使命だと思った。
大好きだったバイクもヨットも楽しかった日々を思いだすから見たくもなかったし、夜も昼も休日もなくゼロポッドにのめり込んだ。 気が付くと、狭い事務所の中は模型やら試作品で一杯になっていた。

そんなある日、商社を経営する友人の須藤氏から驚くような申し出を受ける・・・(来週へつづく)

※写真は強度不足で倒壊した初代ゼロポッド

 

赤ちゃんが、立ち上がろうとして何度も転ぶ。頭を床にぶつけて泣く。それでも諦めず何度も何度も挑戦する。歩きたいという強い意思だ。
そうやってやがて歩けるようになる。
転ばないで歩けるようになった人は多分いない。何度も転んで痛い思いをしながら歩けるようになるんだ。
赤ちゃんが転んだ時、アハハ失敗しやがったと笑う人はいないよね。
ところが、大人になると人の失敗を笑うようになる。ネット上には政治家の失言を初めとして、経営の失敗など失敗をネタにしたニュースが溢れてる。大騒ぎして責め立てる。
それを見ると「失敗」は怖いなーとつくづく思う。恥ずかしい思いはしたくないなぁと思う。だから、慣れないことや新しいことはつい、やめとこうと思ってしまう。
でもね。ハイハイのままなら安全だけど遠くに行くことは出来ないんだ。
自分の意思で自由に歩きたければ、何度も転んで歩き方を学んでいくしかない。失敗こそ財産!

明日は「しくじりマリオ奮闘記」続編UPします!

170305

2011年に木造ゼロポッドを試作してから既に9年目に突入した。

その間、膨大な時間と資金をつぎ込んだが未だに、ゼロポッドはお金を生まず非常にまずいことになってきている。まさに失敗の連続である。

そんな僕が悪戦苦闘しながらも学んだことをすこしづつ書いてみようと思う。

自分が発明したものを、商品化し事業化したいと思っている人には参考になると思う。今日はその第一話。

 

しくじりその1:「死ぬ気で頑張って1年で事業化するぞー」と意気込む

 

ゼロポッドは2011年に木造フレームの開発に着手した。当初の計画では一年で開発、2年目から販売の予定だった。

文字通り、昼も夜も日曜も、必死で1年頑張っても開発は1/10ぐらいしか進まなかった。予想しない障害が次々と現れて膨大な時間がブラックホールのようにゼロポッドに吸い込まれていった。

運動不足で体重は激増するし、ストレスで酒飲むから肝臓もボロボロで一日中体調は悪いから、仕事の効率も落ち悪循環だった。

7年目にやっと、これは、長期戦だぞと気づき、体調を整え長期戦の構えを作った。ちなみに、今9年目。( ;∀;)

まだまだ数年かかりそうだが、完成するまで会社も自分も生きながらえることを目標に切り替えた。

 

まとめ:僕の最初のしくじりは、「短距離ダッシュで駆け抜けようとしたこと」。起業は短距離走ではなく、マラソンのように無理せず細く長く続けることが大事。資金がショートして会社が潰れたり、社長の無理がたたって病気で倒れたらそれでおしまいだからね。

続けていればいつかは、必ず芽が出ると信じて、

「気力・体力・資金」が尽きないように、労わりながらもうひと頑張り。