35歳で念願の独立開業を果たしてから、夢中で仕事をしている内に10年が経っていた。
その間、お客様に恵まれ、建築コンクールでの入賞や、作品を建築雑誌で取り上げていただいたり、ドリームハウスなどのTV出演4回、雑誌掲載20冊以上のPR効果もあり仕事は順調、 可愛い妻と2人の子供にも恵まれ、僕は幸せの絶頂にいた。
が、好事魔多し。
誰にでも絶対にこれだけはあってはならないっていう最悪のことってあると思う。
僕にとってのそれが起きたのだ。
最愛の妻、恵美子が先立った。
健康診断でがんが見つかって手術するもののあっという間に
全身に転移してしまって・・。
それはそれは壮絶ながんとの闘いの末ついに往ってしまった。
自分自身が末期がんで悶絶しながらも「みんなのお世話をしたい・・」と僕たち家族のことを最後の最後まで気にかけて心配しながら・・・。
病院ではなく在宅介護で看取れたのがせめてもの救いだった。
悲しみに暮れる間もなく、僕には生まれて初めての喪主としての仕事が待っていた。
恵美子は専業主婦だったから葬儀は慎ましくやるつもりだったが
驚いたことに400人以上の人が参列してくれて、葬儀場に長蛇の列が出来た。
みんな涙ながらに恵美子さんにはお世話になりましたというのだ。
恵美子がずっと続けていたボランティア活動でお世話していた人達だった。
彼女がボランティアで色々な人たちを助けていたのは知っていたが
一円にもならないボランティアの仕事を早朝から夕方までこなす妻を 正直、僕はあまり快く思っていなかった。
だから、機会を見つけてはやめさせようとしていた。
これといった特技や資格があるわけでもなく、ただの専業主婦のボランティア。その時間で彼女が好きな語学を勉強したり資格取ったりすればいいのにとも思っていた。
しかし、彼女がいなくなったことを心から悲しんでくれる400人の人たちを前に僕は自分が間違っていたことを知った。
朝から晩までボランティアで人のお世話ばかりして帰ってきたら家族の世話をして、自分の体のことも気にかけず(あとで聞いたら実は何年も前から体調が悪かったらしい)、子供たちのことや僕の仕事の成功ばかり気にして、彼女自身の夢の話なんて聞いたことなかった。。
翻って自分はなんてちっぽけなんだろうと思った。
デザインを評価されたい、有名になりたい、お金も稼ぎたいと僕は自分の事ばかり考えていた。
素晴らしい妻に恵まれたのに大事にしなかったら神様が罰を下したのだと思った。
・健康診断を毎年受けさせていれば・・・・
・妻との時間をもっと大事にしていれば・・・
後悔と自責の念に打ちのめされて眠れなくなった。
眠れないから毎晩大量の酒を飲み、体調も悪くなった。
いつもイライラして怒りっぽくなり、仕事にも集中できなくなった。いつしか仕事も減り、スタッフも次々と辞めていった。
そんなある日、新入社員の頃、世話になったこわもての親方に言われた言葉を思いだした。 なぜそんな話になったのか話の前後は全く覚えていないのだが、こんなことを言われた。
「人間の価値は、地位や財産じゃねえぞ、葬式で泣いてくれる人の数で決まるんだ」
その時はふーんと聞き流したが、20年経ってその言葉が蘇った。
僕は人生の伴侶を失った上、自分の生き方にまで自信を失い、ますます酒の量が増えた。
そこへ追い打ちをかけるように東日本大震災が発生した。体育館で避難生活を送る被災者の方々の映像をみていた僕は、忘れかけていたゼロポッドへの情熱が僕の中に蘇ってきた。
簡単に持ち運べてどこへでも設置できる新しい建築、簡単に撤去出来て自然も傷付けない建築を作ろうと思った。
それが僕の使命だと思った。
大好きだったバイクもヨットも楽しかった日々を思いだすから見たくもなかったし、夜も昼も休日もなくゼロポッドにのめり込んだ。 気が付くと、狭い事務所の中は模型やら試作品で一杯になっていた。
そんなある日、商社を経営する友人の須藤氏から驚くような申し出を受ける・・・(来週へつづく)

