泣いた泣いた。
泣くのはズルいかもしれないけど、出るものはとめられない。
涙の力で本心吐いて、すっきりしたよ。
ケンカの原因はささいなものだった
そこから言葉の応酬
溜まっていた不満が流出
つまり、私がスマホでマンガばっかり読んで怠惰だってハナシ。
ああ、そうだよ。認めるよ。
隙あらばスマホでマンガばっか読んでる。
隙がなくても読んでる。
BLとか転生ものとかを、特に深い感銘を受けるわけでもなくただただ消費している。
意味のない時間に見えるよね?
気分転換が頻繁になってしまった
私にとってこれらのマンガは気分転換。
タバコもお酒も飲めない
外出なんて次男の病院や療育ぐらい
午後には次男を昼寝をさせ、長男長女がつぎつぎと帰ってくる。
どこにも行けやしないよ。
それでも、わるくはない暮らしだと思ってる。
それって、モラハラ発言?
「マンガは心を外に開放するための行為」だとダンナに説明したら、「そんなに外に出たいなら働けば?」と言われた。
反射神経的に「できないとわかっていることを言いやがる」と思った。
次男の定期通院と療育、きょうだい達の突発的な不調、行事、PTA。
失踪以来、常にべったり過ごすようになった次男をお供に就活とは・・・なんと高い頂か。
「私、けっこう子どものこと抱えてるよ?(だから今働くのは難しいと思うよ)」
とダンナに伝えたら、
「予定が合えば俺にできることはやる」ときた。
できることはやるって一見前向きだけど、場合によっては残酷な言葉。
裏を返せば、「できないことはできない」だから。
子どものことに関して、特に体調不良なんかは予定度外視でやってくる「できなくてもなんとかしなきゃいけないこと」だ。
不調になると分かっていれば、そりゃ前々から対処するってば。
困るのはいつも予定外のときで、「できないことはできない」と言われてしまうと、もう、本当にどうしようもない。
その記憶が私にはある。
だから私は、自分は遊撃手であるべきだと思っていたし、守りの要だと自負していた。
温度差を埋める
ダンナの言葉がショックだったのは、「自分(私)が日々やっていることをダンナはあたかも片手間でできるかのように言い放った」と感じたからだ。
うちの次男、まぁまぁ大変ではあるけど。
幼児である今は、何もしなければ何もしないで淡々と生活を送ることはできると思う。
療育なんてしてもしなくても変わらないよ!
低身長?年頃になればぐんぐん伸びるって!
身体の動きが不器用?歩けてるからいいじゃん!
視力?見えてる見えてる!大丈夫!
・・・ってな感じでさ。
それでも。なにが正解かわからないけど。
子ども達が生きやすい未来を願ってアレコレ動いてる。
信条みたいなものがある。
私の目の前にはある一定の現実がある。
「次男の目はどうやら見えてなかったらしい」とか「次男には特殊な靴が必要になる可能性もあるのかもしれない」とか「低身長に遺伝子疾患の関与が否定はできない」とか。
この一カ月だけでもかなしみや不安がないまぜになった感情が澱のように胸に溜まっている。
確定ではない、「単なる可能性に過ぎないこと」であっても、心が揺れ疲弊する。
今考えても仕方のないことなのはわかっている。
だから、頭から離したかった。
無になるためのお手軽な行為が「スマホでマンガ」で、私はこれにハマってしまった。
ダンナには「単なる可能性に過ぎないこと」は極力言わないようにしていた。
家族が沈まないために。
だから、ダンナは知らなかったのだ。
夫婦喧嘩という感情がぶつかる場で私の想いを打ち明けた形となった。
結論は、現実的に。
スマホはちょっと改めるし、時期を見て就活(働きたいなとは思う。でもそれは今じゃない)
ダンナもいろいろと理解を示してくれた。
次男の成長
夫婦喧嘩はなにも大声で張り合ったわけではない。
手も出してない。
ただ低い声で言葉を交わしただけだ。
日頃長女とギャーギャー喧嘩している次男には、これが喧嘩だとわからないだろうとタカを括っていた。
が、次男はハッキリと言った。
「けんかしない!」と。
殺伐とした空間であったが、次男の状況判断能力の向上をみて少し感動した。
私もちょっと悲観しすぎだったのかもな。