旅の記録の続きです。
双葉町産業交流センター
帰宅困難地域を見ながら双葉町に到着。
レストランなどがあります。
少しでも町にお金を落としたいと思い
こちらでお昼ごはんを食べました。
周りは公園になっていて
海に向かって右手には福島第一原発があります。
高い堤防が新しく建設されていて
周りには何もありませんでした。
東日本大震災・原子力災害伝承館
ここは本当につらかったです。
最初に映像を見るんですけど
福島県出身の西田敏行さんのナレーションが涙を誘う。。
わたしも当時の報道が甦りました。
わたしは5時間かけて歩いて
職場から自宅まで帰ったんですけど、
途中で寄った母校の大学の一時避難所で
教室のスクリーンにテレビ放送が流れてて
津波の光景に目を疑いました。
嘘でしょ?!って思いました。
何が起こってる???って。
みんな同じ気持ちでしたよね。
大学ではカンパンと水をもらいました。
当時の記録。すべてが手作業。
めるちゃんは知らなかったので写真を見て絶句していました。
津波の映像はショッキングなので
見せないようにしました。
そのうち自分の意思で見ようと思ったときに
見たらいいと思います。
こちらでは語り部によるお話を聞きました。
ほんとに一瞬の差が生死をわけたんだなと実感。
語り部の方も言っていたけれど、
家族の安否が気になり
津波警報が出ているにもかかわらず
自宅のある海の方へ走って行ってしまう人の多さよ。
語り部の方もいったんは自宅へ向かったそうなんです。
ところが道路が陥没してて先に進めなかったと。
それが生きのびた理由だったとのこと。
家族の安否、これが大事なんですよね。
電話が使えないから
連絡は取れないわけで、
家族全員が自分自身を守る行動をすることで
避難先で落ち合える。
我々もいざという時の避難の経路や
家族の待ち合わせ先を決めないとなと思いました。
震災遺構 請戸小学校
こちらは先生、生徒が全員避難して無事だった小学校です。
本当に海に近い!
300メートルしか離れていません。
海より山の方がはるかに遠いんです。
よくここから走って山まで逃げたなぁと感心しました。
避難先の山は、
ハイキングロードがあるわけでもなく
道なき道を草をかき分けながら歩いて行ったそうで。。
3月はまだ雪が残るなか、
上着を持ってくる時間もなかったそうで
時間が経つにつれて寒くなり
大変だったようです。。
最後はたまたま通った
運送会社のトラックに拾ってもらったそうで
本当に助け合いだったんだなと。
めるちゃんも同じ小学生として、
心に残るものがあったようです。
続きます→






