【最終回】〖⚪日比谷の日々⚪〗毎日がロケ地だった『NTT日比谷ビル』 | ⚽水曜午後のフットボール⚽~水曜午後は地方競馬?~

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フットボールは横横F・マリノス、そして競馬「勝ち馬は、走る前に決まっている」と洗脳された過去を持つ(笑)遠藤渓太ではない…
競馬を始めた1995年のきっかけは可処分所得を増やすこと、第2フェーズ2017年以降のいまは横浜F・マリノス遠征費の捻出です。

🔘日比谷の日々🔘

 

時限プロジェクト延長320

 

時限プロジェクト通算560日目(人事発令上は駐在)

虎ノ門から日比谷に移転しこのビルに入居することになった時
既にぼくは知っていました…
ここが半沢直樹ロケ地であったことを
〇箕部啓治が的場一郎に頭を土下座した部屋(第9話)
但し…実際にどこにあるかは解らなかったので、いつか究明しようと強く固い意志を持ち合わせていました。
そんな強く固い意志だったはずなのに日々の業務に流されて薄れかかってきた時のある夜
😲
観たことのある人にしか解らない…
観たことがあるからこそ瞬時に解る
この画

これって…
ココ?(笑)
ここだ(笑)
その後…
業務終了後、通用口から出ると警察車両(いわゆるパトロールカー)
屋根の対空表示は「駒」
駒込警察署⁉ここは千代田区
管轄的に丸の内警察署なはず…
と横に回ると【撮影用】の札が(笑)
 
すると…
伊勢島ホテル本社が見えてきました(笑)

これは…
そして最終日
『半沢直樹2』
○諸田祥一を見送った三木重行が浜村瞳からの電話に出た高架下
JR東海道本線幸橋架道橋
※クレーンが無いので(笑)ポジションが低い😓

NTT日比谷ビル

NTT日比谷ビル(エヌ・ティ・ティひびやビル)は、東京都千代田区内幸町にある建築物。旧称は、日比谷電電ビル、日比谷電電総合建物。

概要

当時のオフィスビルとしては珍しく、各階にベランダが設けられた。電気設備は東京芝浦電気株式会社(東芝)が担当し、自家発電設備も設けられた。逓信建築の代表作品のひとつ。

経過

日本電信電話公社(電電公社)は、それまで赤坂に置いていた本社をビル完成に伴い移転。当初は、東芝も本社機能を数寄屋橋から移転、他にアラビア石油などが新たに入居した。
土地は電電公社所有、建物は財団法人電気通信共済会と公共建物株式会社が共同所有となった。電電公社本社ではなく、その外郭団体が主導して建設し完成後も賃貸収入を得るかたちとなったことは、当時の国会でも問題視された。同様に、公共企業体・特殊法人の本体ではなくその外郭団体を活用して、法律や予算の制約を逃れ、時には利益の付け替えまでも行なう手法はのちに、日本道路公団と財団法人道路施設協会などとの関係や、日本放送協会(NHK)とNHKの関連団体との関係においても生かされていくことになる。
1973年7月、NHKは渋谷区神南のNHK放送センターへ移転を完了し、内幸町の東京放送会館は廃止となった。以降は長きに渡って、「内幸町」は、電電公社本社の代名詞としても親しまれた。1985年の電電公社から日本電信電話株式会社(旧:NTT)への民営化に際しても、引き続き当所がNTT本社となった。1995年6月NTT新宿本社ビルが竣工し、1995年9月にNTT本社は新宿へ移転。
1999年のNTT分割再編実施に伴い、1999年5月28日エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社(NTTコム)が設立され、1999年7月1日の営業開始から2019年1月の大手町地区への移転前まで、NTTコムが本社を置いていた。
2002年株式会社東芝日比谷分室が退去し、ビルは関連会社と郵便局を除き、NTTコムの単独使用となった。
2019年7月、三井不動産とNTT都市開発および東京電力ホールディングスがNTT日比谷ビルを含め、帝国ホテルから東電本社に至る街区を「内幸町再開発」として3つのエリアに分け、2020年秋以降、段階的に再開発に着手。2036年にも完了させると『日本経済新聞』等が報じた。

『半沢直樹』ロケ地めぐりはこちら

☞『半沢直樹Ⅱ』5話

☞『半沢直樹Ⅱ』1話~最終話

☞『半沢直樹Ⅰ』第6話『たいこ茶屋』『半沢直樹Ⅱ』第2話・第9話

☞『半沢直樹Ⅰ』第9話『蕎麦 永盛』

☞『半沢直樹Ⅱ』第5話

☞『半沢直樹Ⅱ』第1・7・8話

☞『半沢直樹Ⅱ』第1・9話

☞『半沢直樹Ⅱ』最終話

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