「カルマ」とは星空

 


 
人の魂にカルマが残る限りは、輪廻から開放されず、私たちは悟りという極地に到達するまで誕生・再生を繰り返すという。
 
 
東洋の宗教でいうところの因果応報・・・私たちのとる行動のすべては回りまわって自分に返ってくる。
 
 
「カルマ解消の為に今生誕生したのに、解消どころかカルマの上乗せをしてしまう。」てな人生を送っているのだろうか。しょぼん
 
カルマ解消において、過去世を紐解くことがプラスに働くのか、足を引っ張ることになるのか。
 
 
過去世を知った為に、カルマが一気に押し寄せてせっかくの解消プログラムに支障をきたす事になるという考え方もあるけれど。
 
 
私の閉所恐怖症、アレルギー等、過去世を引きずっての事なのでしょうか、随分前知り合った不思議系の方から、「平安時代は、随分アレルギーで苦しみましたね。」と言われた。
 
 
まあ、今は日常生活に多大な支障もなく暮らしているので。
 
 
エバステルのお蔭ですけど。かお
 
 
閉所恐怖症は、車の後部座席でも真ん中の席でなかったら大丈夫だし、肉類は食べなくても今の所困ることは無く、牛革靴履けなくても合皮の靴が安くて軽いし、と強がっております。
 
 
只、聞くところによると、閉所恐怖症はMRIのとき辛いらしい。
 
 
 
クローバー「セアロの108の言葉」より。
 
「物事が起これば、ただ起こっただけと思えばよい。そしてそれを味わいつくせ。それから逃げればカルマはつづく。カルマだと理解し、正しい道をその中で見出せば、カルマは消える。」
 
「輪廻転生というものは、意識と無意識が存在する真我の部分が常に生き続けるということである。生きるとは、肉体そのものではなく真我そのものである。肉体はそれを証明する道具であり、古くなって真我の欲求に応えられなくなったとき、それは朽ちるだけである。こうして新たな肉体を選び、また真我の追求をする。それは精神的に生まれ変わることではなく、気づくことである。もともと魂は美しいものである。」と。
 
 
セアロの言葉にもあるように、何事からも逃げずに全てをわくわくと味わい尽くせば。・・・・・・・・
 
 
何かが起こったとき、表面は慌てふためいていても、笑ったり怒ったり、泣いたり、でも内なる自分には実は波風一つ立っていない、そんな境地に至ることを望んでいるのでしょうか。
 
本セアロの本に聞いてみた。
 
「悟ってそれからどうするの。その後何するか、それが大切だ。それをやるんだよ。それを今、肉をもってやれたら最高だね。」
 
 
一年位開かなかったセアロの本を、今とても懐かしく読み返している。
 
 
もう一冊、長いこと手に取っていなかった私のバイブル本にも目を通さないと、という衝動に。
 
 
最近、心が乾いているのかも?(・Θ・;)ドキドキ