母が亡くなってもうすぐ7ヶ月。
毎月の月命日には墓参りに行っているが、8月は初盆だし長女を伴ってお盆の前に参る予定にしている。
長女には、時々遺品整理も手伝ってもらっている。
『お宝が出てきたら山分けね✨』と言いながら…
残念ながら今のところ山分けする程のお宝は見つかっていないが…(記念硬貨の500円玉と仏事用のネックレス等々、笑)。
金目の物は皆無に近いが、これは!と言うものが出てきた。
母の日記である。
今日はその日記について綴っていこうと思う。
母の日記は数年前、まだ認知症を発症する随分前から始まっている。
驚くことにほぼ毎日書かれていたが
内容的にはその日あった事や行った場所等が箇条書きで記されてあるごく簡単なものだ。
でも毎日の様に、体の不調が書かれてあった。
『今日は朝から頭が痛い』
『手の痛みが治らない』
『ふらふらして気持ちが悪かった』
『動悸がして辛かった』
『眠れない』
等、毎日あちこち何処かしか体調が悪かった事が伺える。
確かに…
思い起こせば私にも毎日の様に、
酷い時には起き抜けから何処そこが痛いと言ってきて、朝からげんなりさせられていたものだ。
元々、人並外れた心配症でちょっとした不調で騒ぎ、何でも重篤な病気にしたがる癖があった。
そんな母がもっと厄介なのは
だから構って!
優しくして!
労わってちょうだい!
と、とたんに構ってちゃんになるのだ。
二人でうどんを食べていて、七味をかけるかと聞いただけで喉の不調を訴えるのだが
七味もかけられない程に喉が悪い!
可哀想でしょ?
となるので、うどんを食べる時に七味云々は禁句となった
そんな調子だから、母の体の不調には鈍感だった私。
少々の事ではまた言ってるよウザい!となってスルーするのが当たり前になった。
シミやホクロが出来ただけで癌だと騒いだりするので、その内まともに相手にしなくなっていったのだ。
私にあまり構ってもらえないから、母はその不安を日記にぶつけていたのだろうか?
なんて可哀想な事をしたのだろう
母の日記はその後
文字の乱れと、漢字が分からなくなったのか平仮名で書かれる事が多くなって、認知症の症状が顕れだしたのが分かる様になる。
私に伝わらないことを、漢字が思い出せず痛みのある手でガタガタの平仮名を書くことで埋めていたのだ。
親不孝は親が居なくなってから気付くのですかね?
最近気付きすぎて落ち込みます