久々の続きものです!
前回のお話はこちらから💁♀️
前回からの続きです。
医師『お母さんね、膀胱癌だよ!』
えっ……………。
思考が止まる私
母を見ると、諦めた様な分かっていない様な…
ぽわんとした顔をしていたので
『お母さんも聞いたの?』
と尋ねると確かに頷いた。
医師の説明に戻ろう。
膀胱鏡(尿道から挿入して膀胱内を見る胃カメラの様なもの)で見る限り、母の癌は上皮内癌と言ってまだ筋肉層への浸潤は無さそうなので、内視鏡で膀胱の内壁に広がっている癌を削りとる手術が可能であるとの事だった。
手術で治るのか?
治るのならば手術した方がいいのだろうな!
そうなんだろな!
でも母は手術という言葉を聞いて
『もういいけどな』
と言った。
私も…今だから白状するが
本人がいいんならこっちもいいけどな!と思ってしまった。
母の年齢もあるが、これが父や旦那さんだったら必死で勧めたであろう。
でもこの時の私は、母が癌だと聞いて
思考が止まった次の瞬間に一瞬だけ『解放』というワードが頭をよぎったのである。
しかし、やはり理性が勝つもので
『治る可能性があるのなら頑張って治療するべきじゃない?』
親が癌宣告を受けていたのに、呑気に下のカフェでお茶していたヤツがよく言うよ!とは思いながらも真っ当な意見が口をついて出る。
母は自分で自分のことを決められないのだろう。
そりゃそうだ!今、宣告されたばかりなのだから…
数日後、流石に落ち込んでいる母を不憫に思って
梅の花が見頃である公園へ連れて行った。
紅白梅が見事に咲いた公園内を歩きながら
慰めるつもりで連れ出したのに、つい意地悪な質問をしてしまった。
『お母さん、こないだ真珠のネックレスが無くなったのを私のせいにしたでしょ?あれ見つかった?』
『あぁ、あれあったのよ。でもあんたに言えなかった』
数ヶ月前、私がネックレスを盗ったと言って怒鳴り込んできたことがあったが探したらあったと言う。
でも振り上げた拳を下げられなかったのだろう。
かと言って、癌宣告を受けて落ち込んでいる人にわざわざ問い詰める私もどうかしている。
過去に母から受けた理不尽を、母が一番辛い時に仕返ししようとする私。
せっかく梅を見せに来たと言うのに…
何やってんだ!
あんたに言えなかったと蚊の鳴く様な声で言う母の顔は悲しそうで、とてもじゃないが責める気にはなれない。
じゃなぜ今聞くんだろう?
もっと母が元気なうちに、もっとどんどん喧嘩でも何でもやっておけば良かった。
言いたいことなんて山ほどあったのに何故言わなかったのだろう?
今ごろになってこんな意地悪やったって少しもスッキリしないのに…
母が頻尿に苦しんでいたのに放置し
癌宣告を受ける瞬間に同席せず
知らされた時には一瞬だが解放の文字が浮かび
更には姑息な手段で弱った母を責めた。
恥ずかしい話だがこれが私がやってしまった、悔やんでも悔やみきれない過ちなのだ。
今から5年前の話である。
それからの5年間は癌治療、心臓手術、認知症発症と、まるでバチが当たったかの様に母の介護中心の生活となった。
今から思えば、癌も心臓手術も認知症も避けては通れなかったのでしょうが、つい…
何故、あの時もっと早く病院に連れて行かなかったんだろうとか
何故、あの時カフェでお茶なんか飲んでたんだろうとか
何故、諦めた様な顔で梅を見ている母にあんなこと言ったんだろう?って
母が亡くなってから毎日の様に思うのです。
何故何故何故って…