「私のご先祖さまの考察 ①」からの続きになります。
今回私の使用しました遺伝子調査キッドは、「Haplo3.0」
唾液を採取し、同封されてある封筒にて所定の機関に送ると約1か月後にアプリで結果の通知が来るというシステムです。
youtubeなどで挙がっている方々の結果を先に例として載せておきますと、
この方は土着型のコテコテの日本人。
一方、こちらの方は日本人88%、朝鮮人10%、なんとカンボジア人2%の方。
そしてこちらの方は日本人58%、朝鮮人39%の方。
上に挙げた方々はいずれもご両親は日本生まれ日本育ちの日本人であるとのことでした。
この結果からやはりヤマト民族は様々な人種から構成されているということがわかりますね。
因みに韓国人について少し触れておきますと、遺伝子ゲノム的な位置として、実は下図に示されてあるように、中国人及びベトナム人のライン上に存在せず、縄文人から日本人を経て北京中国人に繋がるラインの中間点に存在します。
これらの遺伝子の成分や歴史的背景などから、竹田恒泰氏は、
日本で多くの縄文祖型遺伝子となるD2と現代日本人との間に弥生人が位置することや現代日本人と北京中国人の間に韓国人の遺伝子が存在すること等から、往古に韓半島に住んでいた日本人が列島に移住した際に、残された韓半島在住の日本人が中国に支配されていた時代に混血した結果であると推定しております。
つまり韓国人の人種的祖型は日本人に由来し、後に韓半島に流入して来た中国人遺伝子と同化していった結果が現代の韓国人であると述べておられます。
なるほど、でなければ韓国人遺伝子は、上図から言えば、別に韓国人独自の遺伝子エリアが存在する、若しくは左下から斜め上に流れる中国系遺伝子の中国(北京)のライン上に並ばなければならないはずですが、明らかに日本寄りの中間点に位置していることからも、半島に居る韓国人は日本人遺伝子との混血であったことを意味していることになります。
このことから、日本人の祖先は韓半島にも定住していたということを示している証拠になります。
これらは魏志韓伝や後漢書などにも記されておりますから、記録物からも裏付けられる訳なんですな。
さて、私の遺伝子構成を見てみますと、
ワシ、日本人87%、朝鮮民族12%、未分類1%からなっており、その結果れっきとした日本人と判定されました。(まぁ当たり前のことですが)
では、私の父方の遺伝子はというと、
なんとO2a2b、その中でもO2a2b1a1a1であることが判明いたしました。
赤囲い線内にも記されてありますように、中国チベットの現代集団で確認されているようです。
因みに先に記した「D2系」チベット集団、つまり縄文祖型の集団とは違う上、弥生期に日本列島に稲作をもたらしたとされる「O1b2系」でもないことが判明しました。
その証拠に、ワシのオヤジ系からは縄文人に繋がる遺伝子が見られない結果となりました。
おおよその弥生人的特徴である一重瞼や比較的高身長、ぬっぺり型の面長の顔でもないオヤジ。
やや肌も浅黒く外国人張りにかなりほりが深いうえに鼻も高く、てっきり私は縄文人に近いと思っていたのでこれはかなりビックリな結果となりました。
で、この遺伝子「O2a2b1a1a1」について掘り下げて調べてみますと、O系は2系統に分かれ、何故かワシの父系はシナ・チベット語族に属し、
弥生系渡来倭人のO1b2でもなく、
ここに書かれてあるのが事実であると受け入れますと、
往古の祖先は、恐らくチベット~ビルマ周辺に住んでいた漢人に由来します。
従ってワシの父方の遺伝子は、データとしては日本人にごくわずかに残る1%の日本人であるということになります。
これはD2チベット系縄文人以外の、O2型チベット系非縄文型日本人という稀有な存在であり、「有名人のハプログループ」様及び「デフレ派のブログ」様の情報から抜粋しますと、
祖先は秦氏系となり、
秦氏のハプログループが確定
ソースは「有名人のハプログループ」です。
http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/%E6%A6%82%E8%A6%81
秦氏のハプログループが確定しました。
聖徳太子の側近として活躍した秦河勝のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1a(O-M133)であると推定される。
これは、始皇帝のハプログループが確定した翌日に確定したものです。
始皇帝のハプログループは、
秦始皇帝のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1a(O-M133)であると推定される
です。
つまり、日本の秦氏は、始皇帝の一族と同じだということになります。
また、これにより、秦河勝の子孫とされる有名人が大勢、いっきにO2の漢民族であると確定しました。
秦河勝の子孫としては、楽家の東儀家、猿楽の始祖観阿弥・世阿弥親子、四国の戦国大名の長宗我部元親・長宗我部盛親親子などが知られる。
観阿弥、世阿弥、長曾我部元親が、O2の漢民族、おそらく始皇帝の子孫であると思われます。
そして、第二次大戦最後の総理大臣の東条英機は観阿弥の子孫なので、O2の漢民族だと思われます。A級戦犯とされています。
また、稲荷神社は、秦氏の氏神なので、稲荷神社のハプログループが確定したことになります。
稲荷神社は、O2a2b1a1a(O-M133)が本家筋となります。
稲荷神社は、全国の雑多な神社を困ったら稲荷神社にしていた時期があるらしいので、必ずしも稲荷神社なら絶対に始皇帝の一族とは限りませんが、基本、稲荷神社は始皇帝の子孫を祭った神社です。
外国人に最も人気のある日本の観光地として有名な伏見稲荷も、秦氏の総本山であり、始皇帝の子孫の神社だということになります。
…等と記されておりました。
また「遺伝子ペディア -世界は大きな家族だった-」によりますと、父と同じ遺伝子を持つと考えられるのが、
…ということになります(´・ω・`)ここでは深く言いませぬ
お次に母方の遺伝子はというと、こちらはミトコンドリアDNAからの検査から、母系を遡れると考えられており、その母親から子に受け継がれる特性を生かして、家系を追跡するための研究に利用されています。
で、ワシの母方の遺伝子はというと…
こちらはM7b1a1a1という結果となっており、日本人の約4.5%がこれに該当するようで、
M系遺伝子は縄文人の遺伝子の一つとされ、
アジア縄文タイプに属します。
このM7系の遺伝子をルーツに持つワシは、またしても倭人の祖型の主流であるM7aではなく、M7b型であり、こちらも父と同様に中国南部から東南アジア・ベトナム・タイなどにルーツがあるようです。
その分布域は、赤丸側であり、
日本入っとらんやん あ、沖縄がチョット入ってそう
恐らくは、
この遺伝子は、日本では沖縄県の平安山原遺跡の出土した歯からM7a1系に混じって発見されており、
場所はココ
上の図のM7系交錯地点から考えると、南方から黒潮に乗って海を渡って来た縄文系の集団であったと推定できます。
これらのデータからは、今は亡きスンダランド周辺を根拠地としていたM7a系と一緒に海を渡って入って来た可能性が考えられますな。
ただし他の研究からも抜粋しますが、
鳥取県の弥生時代の遺跡からも同遺伝子が発見されており、渡来系弥生人などと記されていますが、この考え方は誤りであり、M7b1a1a1は、母方の縄文遺伝子なのですから時代の流れから、土着のM7b型の女性との混血を示すデータであり、他にも岡山県の遺跡などからも同様の遺伝子も見つかっています。
別な考えとしてあえて考えられるとすれば、弥生時代に渡来してきた、”縄文人”ということが考えられそうですね。まぁその線は普通に考えると相当薄いハズ
さて、私の祖先はどのようにして日本列島へやってきたのか、についてですが、
恐らく父方は、弥生時代もしくは古墳時代に②か③のルートから、母方は縄文時代に④のルートからやってきた可能性が高そうであるということがわかりました。
…さて、如何だったでしょうか(´・ω・`)
結局のところ私は縄文人と弥生人(若しくは古墳人)との混血の祖先を持つという典型的な現代日本人であるということがわかりました。
自分のルーツを考えると、日本に至るまでにはとんでもないジャーニーであったんだなぁと感慨深いものを感じました。
最後に目の保養を笑
恐らく①のルートから日本列島に入ってきたと考えられる日本人と同じくハプログループC2系の縄文遺伝子を持つチュクチ人
うーん、日本人ぽいですなぁ笑
こちらはミスワールド2018のヤクート人女性
Oh びゅーちふる
そしてワシのオヤジやかぁちゃんに起因する南方系に由来するモンゴロイド民族
こちらはインド北東部に住む日本人と似ているとされるモンゴロイド系インド人。
こちらはモン族の女性
う~ん、美しいですなぁ
どっち系が好みかといわれるとワシは南方系ですな。(何の話や