ここらでチョット一休み ~_(^∇^*)
…てなわけで、勾玉についてのまとめの稿を書く前に、倭の2代目女王の臺與から魏への進貢品にある「孔青大句珠二枚」とは一体何ぞや…ということで少々考察して参りたいと思います。
本稿は阿波・徳島説となる私説となりますのでご注意下さい。
「魏志倭人伝」には、「孔青大句珠」「穴が空いた青い大きな曲った玉」なるものが記録されており、一般的にこれはヒスイ製勾玉ではないかと考えられています。
●我が国のヒスイ製の分布図
「邪馬台国の会 第241回 謎の四世紀 成務天皇の時代 勾玉の起源より」
日本でのヒスイの産地は新潟県糸魚川周辺であり、我が国では縄文時代から翡翠の勾玉が出土しますが、
韓国では5世紀頃の遺跡からヒスイの勾玉(硬玉)が出土するのが最初のようです。
翡翠を硬玉に限定すると、東アジアではミャンマーと日本の糸魚川近辺に限られ、朝鮮半島にはありません。
韓国のヒスイ製の出土品で有名なのが、新羅時代の5世紀末頃に造営された、古墳名の由来ともなった「金冠塚」の冠です。
また、同慶州市にある「天馬塚」(5~6世紀頃)からも金製冠が出土しています。
これらの墳墓は共に積石木槨墳で、勾玉の出土は特に新羅・伽耶地域に集中しているのも特筆できそうです。
つまり朝鮮半島の勾玉は、日本に近い朝鮮半島南部のみの出土に留まることから、これらの勾玉は日本から持ち込まれたと考えられています。
恐らく倭は、勾玉を朝鮮半島に輸出しその見返りに、鉄などを輸入していたのではないのかとも考えられておりますね。
さて、中国では翡翠のことを玉(ゆう)といい、古代より様々な玉器に製作され、たいへん珍重されてきましたが、実は中国で採れる翡翠は軟玉(ネフライト)のみです。
また、硬玉(ジェダイト)が広まるのは18世紀の清の時代からで、ミャンマーから運ばれて初めて使われるようになったようですが、中国語の硬玉を翻訳しますとジェダイトとなります。
●翡翠の原石(硬玉)
●新潟県糸魚川市で採取された軟玉
●上質なジェイド
●翡翠のカラー
●現代の糸魚川産のヒスイ製勾玉
●翡翠色の配色パターン(原色大辞典)
皆さんこれ、普通は何色に見えます(´・ω・`)
中国では、翡翠绿=エメラルドグリーンのことで、翡翠の「翠」は即ちエメラルド
従って翠玉であり、これは「緑色」を意味します。
また「魏志倭人伝」に書かれている「青玉」は、現在の中国語ではサファイアのこととなりますので、当然のことながら日本で産する場所はありません。(つまりサファイアのことではないということ)
他にも、緑色をベースに青色を混ぜた色の「碧」がありますが、
●色彩としての「碧」
碧玉(へきぎょく)は、jasper、ジャスパーのことであり、日本では、新潟県佐渡地方の「赤玉」、島根県松江市玉造の「玉造石」、青森県津軽地方の「錦石」が碧玉に該当するとありますが、佐渡産のモノはその名の通り赤い色が特徴。
●新潟県佐渡地方の「赤玉」
●青森県津軽地方の「錦石」
これらは赤い色なので除外(´・ω・`)
そして、緑色の色彩がたいへん美しく、古墳時代に多く生産された勾玉の原石となった出雲石こと
●島根県松江市玉造の「玉造石」
ですが、中国語でもこれはそのまま「碧玉」と記されます。
中国唐代の有名な詩人 賀知章の詩に、
「碧玉妆成一树高 万条垂下绿丝绦 不知细叶谁裁出 二月春风似剪刀」
「碧玉のような緑色は柳を飾っている 千万の枝が垂れてある その細長い葉っぱはだれが切り出したの? 二月の春の風ははさみのようだ。」
この詩では新緑が出てきた柳を柔らかい女性に比喩した内容です。
つまり中国では、「緑」「碧」「翠」は分類として「緑」となります。
日本では「碧」と書いて、「あお」と読んだり、「みどり」と読んだりもしますけどね。
「勾玉から考察①」で先述しました日本人の色の認識の話とも関連しますが、青信号の実際の色は緑色でも「青」として通じてしまいます。
確かに「靑(青)」字は、中国でも草木の色である青色を意味し、草色であるため緑色も包含されていますが、「魏志倭人伝」に記される「青玉」「青大句珠」等にある「青」と書かれた箇所を抜粋して、原文と和訳を見てみますと、
「出真珠青玉」「真珠や青玉を産出する」
「假銀印靑綬」「銀印青綬を仮し(与え)」
「紺青五十匹」「紺青色の織物五十匹」
「絳青縑」「深紅色と青色の薄絹」
「孔青大句珠二枚」「穴が空いた青い大きな曲った玉2個。」
これら全て「青色(ブルー)」の意味で扱われていませんかね(´・ω・`)
そもそも中国では青信号を「绿灯」と言うため、中国人的感性では実際に見えるカラーの認識そのまんまなんですよね。
では中国人の認識する「青」とはなんでしょうか
答えは、蓝色。
「青色」は、中国語では「蓝色」(「蓝」は「藍」の簡体字)と言いい、日本語では、藍色(あいいろ)はくすんだ青色を指しますが、中国語では blue の意味で使います。
●藍色
これに該当する候補の一つは、
そうです、阿波の青石 からの...
●阿波の青石埋蔵分布図
藍銅鉱(らんどうこう:アズライト)は、淡い真鍮色の鉱物で金属光沢をした鉱物のうち、最も普通に見られる鉱物で、「阿波の青石」緑色片岩や四万十帯の黒色泥岩のなかに肉眼的な結晶が入っている。(徳島県立博物館 / ミネラルズ:鉱物のものさまざまな性質)
●アズライト
その希少性から、壹與からの贈り物は、アズライト製の勾玉であった可能性があります。 まんま阿波の青石製だったのかも知れませんけどね。希少性は薄いですが。
●アズライト製勾玉(※これは現代のアクセサリー品ね)
それともう一つの候補として、
徳島県東みよし町稲持遺跡(縄文時代晩期~弥生時代の集落)の玉作工房跡から見つかったのが、蛇紋岩製勾玉。
●蛇紋岩(サーペンティン)は変成岩の一種
かんらん岩に含まれるかんらん石や輝石が、水の作用で蛇紋石や緑泥石に変えられた岩石。徳島県内では吉野川の南岸地域で産出する。旧石器時代~弥生時代にかけて勾玉や管玉などの玉類の石材として利用された。(レキシルとくしま蛇紋岩より)
●吉野川の蛇紋岩の原石
つまり阿波青石とほぼ同じエリアで採れるようですな(´・ω・`)
磨くとよくわかりますが、蛇の皮膚のような模様が出るのが名前の由来です。
しかしこれだとやはり緑系寄りの色彩。
●蛇紋岩製の勾玉
お世辞にも「青」とは言い難いのですが、蛇紋岩が貫入した辺りから出るといわれているのが…
●若桜(わかさ)翡翠
ラベンダー翡翠で、白や青もあるが、緑色はなく、れっきとしたジェダイトであり、別名若桜の青翡翠とも呼ばれています。
鳥取県若桜町ほか岡山県新見市の大佐山、兵庫県養父市(旧 大屋町の加保坂)、北海道の旭川市の神居古潭地区と幌加内町、群馬県下仁田町茂垣、埼玉県の寄居町、静岡県静岡市中河内川と浜松市(旧 引佐町)、高知県高知市円行寺地区、徳島県勝浦川と眉山、愛媛県野村町、長崎県長崎市三重町と琴海(きんかい)町、熊本県八代市泉町、などで確認されている。(各地の翡翠より抜粋)
●青翡翠製の勾玉(※これも現代のアクセサリー品)
蛇紋岩体あるいは蛇紋岩メランジェ中の構造ブロックとしてのヒスイ輝石岩が報告されている。その中でも、鳥取県若桜町角谷産のヒスイ輝石岩は、鉱物学的研究が比較的少ないように思われる。(日本鉱物学会年会講演要旨集より抜粋)
とまぁ書かれてあるように、調査研究数自体が少ないので一般的にはよく知られていない鉱物ではないでしょうか。
ちゅーことで、これなら立派な「藍色(青)」ですなっ(^ω^)
何だかオッサンワクワクして石探ししたくなって来ちゃった(*´∀`*)テヘッ
…というわけで、二つの候補を挙げさせて頂きましたが、如何だったでしょうか
可能性的には無きにしも非ずといったところかも知れませんが笑
希少性なども加味すれば、魏帝への贈り物としては中々に相応しいモノではないかと考えております。
また、「魏志倭人伝」では、同文章中の「出真珠青玉 其山有丹」「真珠、青玉を出す。その山には丹有り。」と書かれてあるように、弥生時代後期において、山から丹(辰砂)の採れた坑道跡があるのは現時点で徳島県阿南市の若杉山遺跡しか見つかっていません。(毎日新聞 徳島・阿南の若杉山遺跡最古の坑道跡か 弥生後期、500年さかのぼる)
●若杉山遺跡の丹と精製の痕跡
「出真珠青玉」はその地(邪馬臺国)で産出するということを記しているのであって、「其」がかかっての「山有丹」なのですから、丹が採れる山も同じ場所であることを示しています。
●青翡翠を産するとされる眉山~勝浦川と弥生時代に丹の採れた若杉山遺跡の範囲
ここは徳島県でいうところの旧長國の範囲となりますなぁ( ´∀`)
ここを通説となる、「日本=倭國全域範囲」のこととして記している等と解釈するのであれば、そもそも倭人伝は日本のことを記しているのであってイチイチこの箇所で「其」なんて書かなくてもいいはずですね。(´・ω・`)ノ でわでわ