沖縄より、横川明子です。
首里城には、まだ未開園区域が残っいます。通常は入ることができませんが、首里城公園のイベントで、時折、未開園区域へ入ることのできる、見学ツアーが開催されており、私は、足しげく通っております。
首里城の本殿の後ろ側にある空間は御内原と呼ばれ、王族のプライベート空間となっていました。
江戸城の大奥のような空間です。
この本殿の後ろ側にある御内原は、まだ復元作業を行っており、開園は平成30年度頃とのことです。
この御内原の見学ツアーに参加するのは、実はもう、今月で5回目になりますが、一番楽しみにしている場所は、下の写真の東(あがり)のアザナからの風景を眺めることです。
風水の視点から首里城を見るとき、やはり360度からその風景を眺めたいと思うのですが、特に本殿の後ろ側の風景がどうなっているかというのは、とても興味がありました。
風水では、龍穴を守るために四方に霊獣がいることを「四神相応」と呼びますが、本殿裏の東のアザナからは、本殿の背後に位置する首里城の玄武、弁ヶ嶽をはっきりみることができます。
写真では、私の左側にある山です。
そして、右側の青い円筒の向こう側には、肉眼で、王朝時代の最高の聖地である、久高島を見ることができます。
斎場御嶽は、久高島の右に見える半島の向こう側にあり、首里城からは見ることはできません。
ただ、日の出の角度からすると、春分・秋分の太陽は、弁ヶ嶽から、冬至の太陽は、斎場御嶽のあたりから昇ってきたのだと、考えられます。
そして、現在、本殿の中の展示室では、円覚寺の図面や、第18代国王、尚育王の直筆の書を見ることができます。2015年6月30日までの展示です。
今回の首里城散歩で、年間パスポートも、2回目の更新しちゃいました。
円覚寺の図面は、戦前に測量されたものだそうです。
私が、興味があったのは、円覚寺が建てられた当時、この図面を一体誰が描いたのかということだったのですが、首里城公園の方にたずねても、わからないとの回答でした。
建築様式は、日本の禅宗のお寺の様式とのことで、日本の僧侶などが、建築設計に関わっていたのでしょうか。
王朝時代は、中国福建省に留学生を送って、風水術を王府の政策に取り入れていました。首里城の風水は、中国から伝わってきた風水色が強いですが、日本の僧侶とも交流が深く、その影響も受けていても、不思議ではありません。
先日、埋蔵文化財センターへ行き、発掘調査の内容を少しお聞きしてきました。
首里城の本殿と奉神門の間をつなぐ浮き道は、角度が曲がっているというのは、TV番組などの影響で、ご存知の方も多いと思います。
理由は諸説あると言われていますが、王朝時代に書かれた文書の中に、首里城の風水見分の記録があり、浮き道がずれていることが良しと書かれています。
円覚寺も、仏殿と三門をつなぐ道が、少しずれているそうです。
日本では、風水術の知識があったのは、僧侶だったといわれています。日本の僧侶と王府の関わりもかなり深かったようですが、当時、日本の建築様式が伝わってきた際、日本の風水術が、寺院の建築に、どんな影響を与えたのでしょうか。
データがないので、想像するしかないのですが、円覚寺の復元されたら、その形には、何かヒントがあるのかもしれませんね。
調べれば、調べるほど、謎の深まる首里城の風水です。
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