田舎の両親の介護に帰省すると、朝「おはよう」といって笑いあえることがどんなに幸せかということがわかります。

今回、母が入院し、父もふうふう言いながら踏ん張っているのを傍でみていると、普通に生きているということが奇跡でありがたいことに実感します。

朝、挨拶してホッと今日が迎えられたことが嬉しいです。

そして夜、一日を無事に終えて「おやすみ、また明日」といって眠りにつくことが満足に繋がります。

一日、一時間、一分の重みを実感するのが両親の介護です。

今回、母の入院で父と二人で過ごした数日間。

父も寂しさを抱えながらそれでも一生懸命にいます。

今回は二人だったので、レイキもいっぱいすることができました。

「ほんまになんともいえん、、きもちええのぉ〜」と父は満面充足の表情をします。

そんな中で父が手を繋いできました。

利き手の左手と私の右手。

父と手を繋ぐなど、いつ以来でしょうか?

確か一番古い記憶、、、5歳ごろのこと。

こんなに、あったかい大きな手だったのね。


母のいない今回は、父のペースで、割とゆったりと進んで行きました。

昔、映画をよく観た話だとか、、、知らないこともありました。

なかなか充足した良い時間だったと感じています。


父は食べ物も今時のものは、あまり好まないということ、、、。


洒落たものではなくて昔からの素朴なものを好むということ、、、。


口の中でほわっとなくなるような柔らかいものを段々と欲しているということ、、、。


本当にこんなのでイイの?っていうくらいちょっぴりの食べ物を色々がよいのだということ、、、。


おむすびも、親指くらいの小さいものがよいこと、、。


小さい器に少しずつ入れていくと、それを持って食べられるからイイということ、、。


「こうしようか?」と疑問符で尋ねると遠慮して「いらない」、、といい、「こうしようなぁ!」とむしろ引っ張っていく方が良いということ、、、。


どっちかを選ぶのは、とてもにがてだということ、、、。(みんなにお世話になってるから我儘は言えないと思ってるんです)


毎日、みんなに支えられていることを骨の髄まで意識していて、、だから「ありがてえ」しかないということ、、、。


だから、ああみえて、結構我慢しているんだということ、、、。


あなたが居るから私たちも頑張れるし、、一生懸命に頑張ってる父さんをみていると、、何かしてあげたくなるんじゃ、、、こういうと、とても喜ぶということ、、。


ぼーっとしていても、色んなものを観ていて、思うことは沢山あるらしい、、でも、言わないらしい、、ということ、、、。


忘れる天才だけど、その時の今今を実に人間らしく真剣に生きているということ、、、。


誰かと一緒に過ごせることがとても嬉しいということ、、、。(だから、向き合う方も真剣にむきあっていかないと、、と感じました)


限られた空間の今の中で、私たちの話しをゆっくり話してみると、楽しんでもらえるということ、、、。


なんな?ときくのは、小さな音も聞こえていて、それを確かめないと不安だということ、、。


みんなの話していることもとても気になるけど、早すぎて理解できないということ、、。


まだまだ一杯、、〇〇だと言うこと、、、はあります。


お風呂も、もしかしたらトイレも、みんなと誰かと一緒じゃないと出来づらくなっているのだと思います。


それにしても、ゆっくりじっくり父をみていると、優しい気持ちになれます。

こんな機会はなかなか持てるものではないと、本当にありがと🙏って思います。


毎日ではないので、こんなことがいえるのかもしれませんが、、、。


暑いし、色々心ざわつくこともあるかもしれませんが、自分のことを置いておいて、父のペースに包まれてみると、、実に沢山のものが見えてくるし気づきがありました。


ただ、残念なのは、車の運転が出来ないので、父の好きなドライブができないと言うことです。

一枚だけの写真、母のいない写真です。


幸せになってくるような笑顔。


介護生活、、私にとっては素晴らしい体験です。

すべてのおかげさまにありがとうございます。