私は沖縄で2年ほど暮らしたことがあります。

青森の大雪の日に沖縄の夏みたいな冬に降り立ち、今にして思えばリアルパラレル移動な感覚でした。

沖縄のとても暑い夏を2回体験しました。
娘たちも小さかったし、クーラーをつけっぱなしで家の中に篭っていました。
今なら、もっと楽しみ方があったろうに、、と思います。

何度か台風も体験しています。
沖縄の台風は本土で観るものとは全く違いました。
産まれたての台風は強烈でベランダに物など置いとこうものなら吹き飛ばされてしまいました。
当時、洗濯機はベランダに置いていたのですが、台風の気配があると紐で縛っていました(笑)

娘たちと窓から外を眺め、息をつめて暴風雨を感じました。
台風の暴風域に入ったのがわかります。
そして、しばらくするとピタリと静かになるのです。

そう、これが台風の目(嵐の目)です。

本当に、嵐が嘘のように、なにもない静寂が拡がります。

そうして、またしばらくすると風向きが逆になって嵐です。
この静かな目(軸)あるからこそ、まわりの嵐も散ることなく在ることができるのだと思います。

そして、産まれたての台風だからこそ、あの極端な変わり目を体験できたのだと思います。


ところで私たちの日常は、例えると嵐の中に居るようなものです。
いろいろなことが起こっています。

でも、その嵐の中にも一点とても静かなところがあります。

「嵐の目」

そう、そこで居ることができたら、揺れることも飛ばされることもないのです。
周りがどんなに荒れていようと周りを観ながらも静かに居ることができるのです。

そこに居ることが自分でもわかります。

どんなに「えっ‼️」というようなことが周りで起ころうと、冷静にそれを観ることができます。
そして、静かな行動ができます。
感情が揺れ動き右往左往することもありません

ですが、ひとたび嵐に踏み出せば(現実に巻き込まれると)揺さぶられ大変なことになります。

いつも「嵐の目」で在ること、それはニュートラルであり、中今であり、ゼロポイントであり、愛で在ることなのだと思います。

すべてのおかげさまにありがとうございます。