#なつかしの写真② 叔母昭子姉ちゃんの思い出 | まりんぼったの独り言

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ヨウムのまりん(2000年生まれ)との日々…
笑ったり、怒ったり、ひたすらにぎやかな日常の中で、私(なまちゃん)の日々も流れて行きます。
調子に乗って、俳句、短歌、川柳、小説なども。
秘境に1人暮らしをしている母も92歳になりました。

なつかしの写真

 

 



 

    古い古い写真です。

   「懐かしの写真」というタイトルで、

     私の着物姿をアップしたとき、同じ

     アルバムに貼られていたのです。


    私にとって、忘れられない叔母、母

    とは11歳違いの昭子姉ちゃん。

    今からちょうど10年前、病を得て

   旅立ちました。

   叔母と呼んだことは一度もなくて、私の

   中ではずっと「お姉ちゃん」なのです。


   今日はそんな叔母の生い立ちを綴って

   みようと思います。

   才気煥発、破天荒で誰からも愛された

   叔母の生涯は小説にしたいような人生

   でした。

   母がこよなく愛した妹だったのです。




   

    『コイチと呼ばれた少女』


    

     昭子は昭和17年11月に、6番目の子と

    して生まれた。


    兄3人、姉2人、後に3歳違いの弟

    薫が生まれる。


   生まれた家は川縁の小さな家だった。

    新家持ち(しんえもち)と言って、夫婦で

    新しく家を持ち、鍛冶屋と農業を生業と

    していた。


    舅姑の居ない気楽さはあったが、子沢山

    で父親はいわゆる山っ気のある人だった

    から、貧しい生活を送っていた。


   山っ気というのは「一攫千金」を目論む

   人の事だ。

   父親は山深い地域では珍しい端正な顔立ち

   をしていたが、持病に躁鬱病があり、

   働く時は休まず働き、ひとたび鬱状態に

   なると何もする気になれず寝てばかりいた。



    当然、すべての負担は母親に掛かって

    くる。

    母親は夜明けと同時に、牛の餌になる

    草を刈りに出掛け、昼間は畑で汗を

    流し、休む間もなく働いた。



    そんな中に生まれてきた昭子だったが、

    周りの人からは「コイチ」と呼ばれて

     いた。


    「コイチ」とは「子どもの中で1番」と

      いう意味である。


    兄や姉もそれぞれ優れた資質を持って

    いたが、昭子は群を抜いていた。


   父親に似て、綺麗な顔立ちをしており、

   スポーツにも長けて、何より頭脳が

    優れていた。


   中学校を卒業したら、当然高校進学の

   道が待っているはずだった。


   ところが、5歳離れた兄が騙されて

   とんでもない借金を背負ってしまった

    のだ。


    到底本人に返せるような額ではなく、

    両親は苦慮した挙げ句、山を手離して

    借財の返済に充てたのである。



   只でさえ貧しい家にこの痛手は大きく、

   昭子は高校進学を諦めなくてはならない

   羽目になってしまった。


   そんなある日、思いがけない救いの手が

   差し伸べられた。



   希望に満ちた話ではあったが、昭子に

   とっては果てない苦労の始まりでも

   ある日が待っていた。



   ✳️ 長くなるので続きます



   



   「なまちゃん、また物語仕立てにして

     続けるつもりだね」



 

 

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