数年前ですが、飯田文彦著の『生きがいの創造 II』に出会いました。
この本を通して、魂や、宇宙、人生の仕組みを学びました。
もう一度読み返すと、私がセラピストになるに当たって人々に伝えなければならない重要なことがたくさん書かれているので、読んでいない方に教えますね。
心理カウンセラーとか、スピリチュアル・カウンセラーを受けてみようと思っている人、
または、
心理カウンセラー、スピリチュアル・カウンセラー、セラピストを目指している人は、是非一度目を通してください
ここには、人を救う3つのケアが紹介されています。
「ケア(care)」すなわち、助ける、お世話の仕方、気づかい方、処置、治療があると伝えています。
- フィジカル・ケア
- メンタル・ケア
- スピリチュアル・ケア
【フィジカル・ケア】
フィジカル (physical)とは、「肉体の」と意味であり、体の不調や痛みを和らげることを「フィジカル・ケア」と表現することができます。医学的な治療や投薬だけでなく、マッサージやリフレクソロジーなど、さまざまな方法を組み合わせて行います。
【メンタル・ケア】
メンタル (mental)とは、「感情の」とか「精神的な」という意味であり、不安感や孤独感などの心の乱れを安らかにすることを、「メンタル・ケア」と表現することができます。精神科や心療内科による医学的な治療や投薬だけでなく、励ますこと、そばにいること優しく接することなど、人的側面に重点が置かれます。
メンタル・ケアの基本は、「大丈夫ですよ」という「言葉がけ」です。「なぜ大丈夫なんですか?」と聞かれても、深入りしないで、「とにかく大丈夫ですからね」と答えるだけで構いません。きちんと説明しようとすると、うっかり逆効果になる情報を与えてしまったり、論理矛盾に陥ったりして、かえって不安感をあおってしまう危険性があるのです。
なお、「がんばれ」という言葉は、「すでに散々がんばっているのに、うまくいかない」という人々に口にすると、その人の精神状態をさらに追い詰めてしまう、危険な言葉です。そのため、どうしても「がんばれ」と言いたい時には、「よくがんばってるね」などと、その人の現時点での努力を大いに認める言葉へと、形を変えて使うことが望ましいと言われています。
このような難点があるため、余計なことは口にしないで、確信に満ちた元気な口調で、ひたすら「大丈夫ですよ」を連発することが、メンタル・ケアの基本です。したがって、この方法によるメンタル・ケアは、医学や心理学の専門的知識を持たない誰にでも、いつでもどこでも可能な方法だと言えるでしょう。
【スピリチュアル・ケア】
人生の本質に関わる質問をされた時、「フィジカル・ケア」や「メンタル・ケア」ではケアしきれない壁があるのです。
「なぜ、私は生まれてきたの?」
「何のために、私は生きてるの?」
「どうして、自殺してはいけないの?」
「なぜ、愛し合わなければならないの?」
「どうして、努力しなくちゃいけないの?」
「なぜ、正直に生きていかなくちゃいけないの?」
目の前の相手から、このような質問をされた時に、多くの日本人は、きちんとした「自分なりの解答」を説明することができないのです。
このような時に、「せっかく生まれてきたんだから、自殺なんかしちゃ、もったいないじゃないか」とか、「いじめたりしちゃ、かわいそうじゃないか」という表面的な返答では、相手は納得してくれません。
また、「自分にも、よくわからないなぁ」「あなたが自分で考えてみたら?」「いずれ、わかる時がきますよ」などと、明言を避けてしまうと、相手からの信望を得ることはできません。
このような時に必要なのが、これまで軽視されてきた、第3のケア「スピリチュアル・ケア」なのです。
あなたは「スピリチュアル」と聞いてどう感じますか?
オカルトっぽい 宗教っぽい 怪しい 悪霊扱う怖いもの?
どう思いますか?
「魂」と聞いてどう感じますか? 何を連想しますか?
霊っぽい お墓 火の玉?
精神的に、魂が磨かれている方々には、とてもポジティブなイメージをお持ちだと思います。
逆に、「魂」と言われただけでも、怖い、気持ち悪いとか、神を信じない、見えないものを信じない、宗教は絶対お断り! など、「スピリチュアル」を嫌う方もまだ沢山いると思います。
現に、「スピリチュアル」と語って、人を洗脳したり、詐欺をする人がおり、それに騙される ということもあるようです。(残念な話です・・・)
さて、ここからは、飯田先生のスピリチュアルの説明です。
スピリチュアル (spiritual) という言葉には、良い日本語がありません。むしろ、適した日本語がないという事実こそが、これまでの日本で、スピリチュアルなものが、きちんとした扱いを受けてこなかったことを示しているのではないでしょうか。
例えば、辞書にあるように「霊的」と訳してしまうと、この言葉に崇高なものを感じることのできる方々(多くは宗教をお持ちの方々)以外の、大多数の日本人にとっては、悪い意味でのオカルト的なイメージや、暗くてじめじめしたムードで受け取られてしまうため、現実問題として適切ではありません。その背景には、「霊」という言葉を用いて、人々をだまして悪事を行った、いくつもの悪質な組織が存在した歴史が影響しています。この言葉にダーティな(汚い・悪い・暗い)イメージがなく、安心して使うことができるならば、どれほど楽だっただろうかと思ってしまうくらいです。
だからといって、「精神的」と訳してしまうと、今度は、前途した「メンタル・ケア」との区別が不明瞭になって、わざわざ「スピリチュアル」という言葉を用いる意味がなくなってしまうのです。
そこで、私は、そのままカタカナで「スピリチュアル・ケア」と書くか、状況に応じて、「魂のケア」と表現することにしています。「魂」という言葉も、多くの日本人から敬遠されやすい言葉ではありますが、「霊」という言葉に比べれば、ダーティなイメージは、かなり少なくなるからです。
その理由は、おそらく、「霊」という言葉には、「悪霊」などの怖い熟語があって、「あなたに悪霊が憑いていますよ」「ヘビの霊が憑いていますね」などという言葉で、人の恐怖心を利用して悪事を働く人々がいる一方で、「魂」という言葉にはダーティな使い方がほとんど無いうえ、「一球入魂」「闘魂」など、人々に勇気を与える熟語として使われることが多いからだと思われます。
いずれにしても、「スピリチュアル・ケア」と「メンタル・ケア」との本質的な違いは、「メンタル・ケア」が「大丈夫ですよ」の一点張りで効果があるのに対して、「スピリチュアル・ケア」は、「人生についての根本的疑問」に対して、理路整然と説明し、納得を得なければならないということです。
「メンタル・ケア」が、意図的に、「とにかく大丈夫ですよ」と(良い意味で)答えをごまかすのに対して、「スピリチュアル・ケア」では、ごまかすことはしないで、「それは、こうなんですよ・・・そうお答えできる理由は・・・」と、きちんと説明しなければ、効果は望めません。スピリチュアルなものの概念には、曖昧なものが多いからこそ、逆に、曖昧なままで放っておくのではなく、理路整然と説明しなければならないのです。それができなければ、「大丈夫、死ぬことは怖くありませんよ」「大丈夫、また逢えますからね」などと、単なるメンタル・ケアのレベルに留まってしまい、相手を心底から「救われた」という気持ちに導くことはできないのです。
したがって、「スピリチュアル・ケア」を行うためには、誰かをケアする本人(自分自身)が、きちんとした宇宙観・人間観・人生観を持ち、「救われて」いなければなりません。自分自身が救われていない「理解していない」のに、他人を救う(きちんと説明して納得を得る)ことなど、できないからです。
最後、すごく納得がいきました。
人を救うには、
宇宙・人生の仕組みをしっかり理解して、それを説明できること。
私自身、去年の11月に全てがつながりました。
「仏の悟り」とでも言いましょうか
すべての悩みから解放され救われました
「愛されている」「愛を与える使命」に気づかせてもらったのです。
だから、スピリチュアル・カウンセラー始めました
さて、もしあなたが、心に悩みがあって、カウンセラーに相談する時は、どんなケアが必要なのか、どんなカウンセラーに診てもらうのが良いのかわかりましたね
これから皆さんに、少しでも私の得てきた知識をお伝えして、救われたらいいな
と思います
ちなみに、飯田史彦先生の『生きがいの創造II』は、亡くなった人の魂の声が聞こえる飯田先生の本当にあった話盛りだくさんです。
亡くなった後の「魂」について良くわかる本です