ー小連翹ー

昔、むかしのことでございます。
薬屋を営む一族には、誰に言ってはならぬ秘密の薬がありました。
ところが、その主人の弟は情人に寝物語の末に話してしまいます。
秘密の話など、広まるのは容易いことで
その男の兄の耳にまで届いてしまいました。

「誰にも言ってはならぬ・・・と」

父が、祖父が・・・曽祖父が・・・
男の兄の逆鱗は鋭い刃となり男の胸を貫いたのです
その飛び血が、小連翹(弟切草)の葉にある黒い油点

ー誰も言えないーそんな秘事が一とつぐらいはあるものです

今宵は「医仙の札」より

カラン〜カラン〜
典医寺の扉にぶら下げられた小さな板切れが、風に煽られ乾いた音を立てた

「風がつよいですね」

薬盆の上に乗せた干した小連翹を手で広げつつ扉の方を見た
どうして医仙はあの様な札を持ち手にお付けになったのか

「そうね」

とても短い応答で終わってしまわれた
煩かったら取りましょうか?とは仰らない

「もう少し大きな板にしてはどうでしょう」
「どうして?」

急に私の方を振り返り怪訝そうな表情で聞いてこられる
重みであの様に揺れはしないと言えば納得してくださるだろうか

「分かる人には、分かるのよ」

機嫌を損ねてしまったようだ
最近の医仙は、どうも心穏やかではない
否、元々あまり穏やかな方ではなかったが

「医仙、あの札には何と書かれているのです」

「부재하다」と力強く描かれていた

「ま・・・(魔がさしたのよ)、そう魔除けよ」
「では、やはり札なのですね」
「なんだと思ったの、センセイ」
「私はてっきり隊長に何かをお知らせする文だと思っておりました」

はっ!医仙は投げやりな吐息を吐き捨てた
何度か舌打ちをして立ち上がり、扉の方へ歩きだす
履物が少し大きいのかペタンペタンと踵が床を必要以上に打つ音がした
あと少しで扉に手が届くという時

「いらっしゃいますか?」

左手に剣を握った近衛隊長が扉を開けつつ声をかけてきた
扉の持ち手に付いた小さな札がカタンと一度だけ音を立てる

「いるわよ」
「부재하다 ・・・ですね」
「違うわ、裏返しておいたでしょ」

扉の方へ向かった医仙は踵を返し
つい先程まで座っていた椅子に戻ろうとし私の顔を見た

「申し訳ない医仙。小連翹を持って行かねばなりません」
「センセイ」
「隊長、医仙のことを宜しくお願い致します」

私に声を掛けられた近衛隊長は、極まりが悪そうに目を逸らした
医仙が居るのは知ってはいたが、私が居るのは想定外だったと言うふうだ

「では」

私は左手で薬盆を持ち、今し方隊長が入ってきた扉から出た
扉が閉まると又あの札が小さな音を立る
その音を止めるように私は札を後ろ手で掴みくるりと返した

ー부재하다ー

この意味を知っている者は何人いるのでしょうか
恐らく近衛隊長お一人だけ知っているのだろう

「では、私の行くべき処が決まったようですね」

この薬の相応しい処は、近衛隊しかない
手荒な隊長の訓練により傷を負った者の手当をしに参りましょうか
私が典医寺から少し離れた時に札が又カラカラと小刻みに音を立てだした
しかし、音は医仙のそわそわと落ち着かぬ体の揺れの様と重なる

「お好きですか?」

貴女が自ら言わぬであろう言葉を私は呟いてみる





侍医は俺に気を使う如く医仙の部屋より出て行った

「不在として頂ければ、俺は」
「そんな卑怯なことをしないわ」

椅子に腰掛け卓を爪先でとんとんと何度か繰り返した
苛立っておられるのが手に取るように分かる
やはり来るべきではなかった

ー隊長覚えておいてー

ある日医仙は、俺のもとへ来られ
紙に書かれた「부재하다」 という文字を俺の目の前に突きつけた

「何です」
「不在って書いてあるの」
「不在ですか」
「そうよ、不在。だから来ても居ませんよって事」

暗に俺に会いたくないと言っておられるのだ
致し方ない
俺はその様なことをこの方にしてしまったのだ
貴女の部屋の前にまで来ては、何度も扉に掛かった札に目を凝らした
一度も「부재하다(不在)」 とはなっていない
伺うべきか、伺わざるべきか
日に何度も足を向け、そしてそのまま兵営へと戻った

「どういうつもり」

俺がどう切り出すべきか悩んでいる間に、医仙は口火を切った

「やはり(来るべきではなかった)」
「連れてきておいて、それっきりなの!」
「医仙」
「お寂しい思いはしていませんか?とか飯は食っていますか?とか」
「俺を待っていてくれたのですか」
「気を使ってくれても・・・ちょっとヤダ、待ってなんか」

待ってなんかいないと言おうとしたのに、あの人ったら
私に抱きついてきたのよ、しかもバッグハグ
ときめかない訳ないじゃない

「今度から・・・いない時だけ札を掛けるわ」

勘違いしないで「来てもいいわよ」と言っているだけ
「来てほしい」と言っているわけじゃない
抱きしめられているのに、なんだか縋りつかれている気がする

「ちょっと、重いわよ」
「あと少しだけ・・・もう少しだけこのままで」





扉の持ち手に付けた札が、風でカタカタと鳴っている
あの人は来ない

「風がつよいですね」

センセイがそう言った時、心臓が口の中から飛び出るかもと思ったわ

「そうね」

声が震えた、誰も言えない始まりを私は待っている