ー禾葉土麦冬ー




王宮の庭には、多くの花が咲いている
先々王の寵愛を受けた妃は、牡丹を
先王の幼い妃は、可憐な名もなき花を植えた

「屋敷から唯一持ってきた」

他の花々に埋もれ咲き、誰にも気づかれずに枯れてゆく
まるで王宮の女官のような花

「ヨニ、王妃様がお呼びだ」

護衛のムガクシが小走りで近づく
私は、ほんの少しだけ首を下げた
何もなかったように歩きだす
風が大層生温く、季節は夏になろうとしていた

「お呼びでしょうか」
「ヨニ」
「はい」

凛とした横顔がとても美しい
黒檀の卓の上に乗せられた鳳仙花で染めた指先が一際赤く悩ましい

「頼みがある」
「何なりと」

その手で先日王妃は、近衛隊長の額に手を当てられた
「熱があるのでは」
隊長の体を気遣いその美しい手を当てたのではない
王妃はそのような方ではないのだ

「近衛隊長をさぐれ」
「はい」

何か不審な事があったのでしょうか
問うことも許されない威圧的な声音

「王様を守れる男か、吟味せねば」
「はい」

この国で一番強い男
あの方以外に誰が王様を守れると言うのか

「ヨニ、よいな。もしもの時の駒もだ」
「はい」

其れは近衛隊長の弱みを探ってこいとのことか
なんという女でしょう、貴女は

「行け」

私は、顔を伏せたまま後ろに数歩下がった
扉がゆっくりと開き、ぬるい風が背後から背を撫でる

「今宵は、王様の寝所に向かう。衣を用意しなさい」

声をかけられた女官は、分かっていたように
盆に乗せられた夜着を運び、王妃は手にして選び出した
月白、白菫、鳥の子・・・どれも王妃の肌を美しく魅せるであろう色
私と話していた時には見せない和やかな微笑み

廊下まで下がり私は体の向きを変えた
貴女は私に人としてはならぬ事を言う
そして、私はそのならぬ事に逆らう事なく従う
どうしてだと思われますか

「貴女が、愛しいからです」

例えどのような意味を持つ命令だとしても
私は最後まで貴女のお側にお仕えいたします
女官としてではなく、一人の女として

「あら、ヨニ。王妃様は」
「お部屋に」

医仙、貴女は知っておられますか
貴女は「駒」だと

王宮の庭に、先王の妃が植えた禾葉土麦冬が咲く
その姿は、王妃の周りにいる女官に重ねられる

「見て、珍しくない?」

医仙は回廊から飛び出し、禾葉土麦冬の中へ近づいた





「ほら、ねぇ・・・」
「触れるな!」

たった一輪だけ真っ白な禾葉土麦冬
その白さは、私
儚さも私

「そんな言い方しなくても」
「医仙。貴女は、近衛隊長の心配だけをしていればいい」
「どうして、私が」

そうして頂ければ、私はこの手を赤く染める必要がないからです
王妃の指先のように美しい赤ではない

「あの人は、わからずやよ。ヨニごめんなさいね。花は、眺めるのが一番ね」
「私も言い過ぎました」

思ってもいない事を口走る
王妃の為に医仙に近づくゆえだ
良心は、恋心と引き換えに捨てた

名もない花だとて、その心は唯一無二なのだ






ヨニは決して妾を裏切ることはない
妾はその心を利用している
真っ白い絹糸を指先でより一針一針丁寧に刺す

「王妃様、そろそろ王様がお越しになります」

私は、一瞬手をとめた

「扉の前にいらしたら声をかけよ」

あと一針・・・もう一針・・・
白く小さき花がゆっくりと浮き上がってきた

「明日、ヨニを呼びなさい」

王様が寝所へ入られた時、妾はチェ尚宮に呟く
どのような顔をして受け取るであろうか
心の中で思い描いた

「ヨニ、今日よりお前は妾付きの尚宮にする」

引き攣った顔で妾を見上げ、肩が震えるであろう
「妾の唯一の尚宮、これを着るがよい」
他の誰も身につけてはいない
真っ白な絹地にやはり白い絹糸で禾葉土麦冬が肩から袖に施されている上衣
「今のままのお前で仕えよ」
妾がそのように言えば、きっと泣いてしまうかもしれぬ

白い禾葉土麦冬は、凛とし一点曇りもない
其方だけが妾の女官