そうか、わたしはがん患者の遺族だったんだ。
2011年。
忘れられない年です。
日本に起きた大きな大きな悲劇は、わたしにも襲ってきました。
この年、わたしは、大切な人ふたりを失いました。
ひとりは、ネイルサロンの店長、わたしのお姉さん的存在、震災の二次被害でした。
ひとりは、わたしの妹、がんという病気でした。
忘れられない年です。
でも、どうしても思い出せない年にもなりました。
記憶がすっぽりとないのです。
3月11日から12月31日まで、どう生きてきたのか、何を食べ、何を感じてきたのか、どうしても思い出せません。
思い出すことを頭が拒否しているのだろうか。
毎年数回、がん患者の遺族会から、お誘いのメールや封書がわたし宛に届いていました。
けど、現実逃避をしていました。
わたしは、遺族じゃない。
妹は、いまこの瞬間もパタパタ元気に旦那さんと暮らしている。
お誘いメールはわたし宛じゃない。
ずっと拒否していました。
今年、遺族会に参加してみようと思ったのは、妹の旦那さんに誘われたからです。
そうだ、つらいのはわたしだけじゃない、妹が愛した人、妹を愛してくれた人がいたんだ。
旦那さんのつらい気持ちは、わたし以上だったのかもしれない。
お昼頃待ち合わせをして、あれ以来足を踏み入れることのなかった、病院へ向かいました。
あの頃と変わっていないといえば変わっていないし、なんだか別の惑星の別の病院にいるような不思議な感覚でした。
いつも待ち合わせや食事をしていた、デイサービスルームで遺族会の懇談会が始まりました。
遺族会は病院のボランティアの方が主体となって、緩和ケア病棟の看護師さんと話し合いをするものです。
はじめにお坊さん(臨床仏教師)からのお話がありました。
- つらい気持ちは、我慢することはないということ。
- 無理に我慢するということは自然の状態ではないということ。
- 不自然な状態は無理ということ。
- 無理というのは理(ことわり)が無いということ。
- つらい気持ちは必ずなにかに変えられるということ。
- 人を支えられるのはやっぱり人だということ。
その後、遺族のみなさんとの懇談です。
みなさんの話を聴いていると、
『もう一度会いたい』
『こうすればよかった』
『あのときこんなこと言ってごめんなさい』
『こんな思い出があります』
『借金をしてでも、もっといい治療を受けさせたかった』
『無念だ、理不尽だ、一言だけでいいから話したい』
みなさん、それぞれいろいろな立場でいろいろな状況で、故人にたいする想いをぽつぽつと語りだす。
わたしは、みなさんのようには言葉がでない。
いや、言葉にしようとすればできるけど、言葉にならない感情が大きすぎて脳が追いついていかない。
お坊さんの話と、みなさんの話を聴きながら、妹の言葉を思い出す。
「ねえちゃん、心ってひとつだよね」
「心って形じゃないよね」
「形じゃなくて心が大事なんだよね」
そうだ。
心はひとつだ。
もし。
妹が今も元気に暮らしていたら。
日々の暮らしに追われ、雑多な用事や仕事に埋もれ、わたしが妹を思い出すことは年に数回ほどだっただろう。
でも。
今は心に妹が生きている。
いつでも、わたしの心に妹はいる。
朝起きれば妹の笑顔を想い、折りにふれ妹のつらい表情を思い浮かべ、泣き顔を思い浮かべ、おどけた表情にふっとほころぶ。
わたしの心で妹はいきいきと生きている。
わたしの心はたったひとつだ。
妹が生きているたったひとつのわたしの心に、つまらない嫌な感情を放り込みたくない。
そう思うと、少し強くなれるような気がする。
妹が強くしてくれている。
強くなりたい。くじけない心を持たなければならない。
そんなことは無理に思うことはない。
わたしの心に妹が生きている。
そう思うだけで、自然と強くなれる。
これが、無理をしないということなのかな。
気持ちの整理なんてはできていない。
する必要はないのだろう。
きっと一生、気持ちの整理なんてできない。
それでいい。
妹が心にいるのなら、無理に整理することない。
妹の旦那さんは流れる涙を拭おうともせず、みなさんと話をしている。
わたしは、現実の世界と自分の心をいったりきたりしながら、それを眺めている。
妹も同じ景色を見ているといいな。