私を利用しようとする同級生、Aさんのことを何度かブログに書いてきました。

彼女に対して、これからどうしよう?と悩みましたが、結局、緊急性の高いことや人助けの範囲であることはやって、そうでないものやんわり断ることにしました。


たとえば試験前日に「授業で配られたプリントを学校に忘れてテスト勉強ができない。撮影してLINEで送ってほしい」と言われれば、人助けの範囲なので送りますが、これが試験三日前のことでプリントをなくしたとかであれば、先生に言って再発行してくれないかとまずは聞いてみるように言います。


先生が再発行する可能性は薄いです。それをわかってそう言います。

無駄に年を食っている私から若者に言えることとして、まずは自分でなんとかしようとダメ元でも動いてみた経験が大事だということを伝えられたらなと思っています。



Aさんの怒り 


頼み事を断ると、Aさんは怒りの態度をあらわにしました。一人ぼっちになるから、実習先まで一緒に行ってほしいというタイプの頼み事でした。


Aさんは同じグループのメンバーに話せる子がおらず、実習先に向かうまでの電車が気まずい。

私は実習先に車で向かう予定で、Aさんの実習先には

40分ほど早く出発すれば寄れるかなという場所にあります。私の車で送ってほしいということでした(親御さんは仕事で送ることはできない)

できないことはないかもしれませんが、負担が大きいですし、Aさんと待ち合わせてもすっぽかしがあって疲れていたこともあり、断りました。


Aさんが、怒りをあらわにしながらも必死に私を説得しようとする姿を見て、きっと彼女は人一倍、看護学校生活に恐怖を感じているのだと思いました。

だから常に「サバイバルモード」で、他人を利用してでもどうにかして生き抜く必要があると感じているのではないか、と。


ドケチ 


ある時、Aさんと同じ高校だった同級生が「Aちゃんってあれでしょ、ドケチの子」と話しているのが聞こえてきました。


私は年頃の若者の持つ残酷な一面に胸が締め付けられる一方で、Aさんの抱えている心の問題のようなものに気づけた気がしました。

以前いた職場で、病的なほどにケチで、それ故に極端に利己的な行動しか取れない人がいました。今思えば、あの方はある種の強迫性障害だったのでは?と思っているからです。


Aさんもおそらく、前の職場の方と同様、「損をすること」を極端に恐れているのではないか。

損をすることを極度に恐れるあまり、後先のことが見えなくなり、損をしたくないのに、結果的に損をするほど利己的な行動を取ってしまう。友人をなくして孤立して苦労したり、距離を置かれたりする。


損をするとは、一時的には身をすり減らすことです。ちょっとした損は別の形で返ってきますし、こだわり続けるのもつかれるので、多くの人は多少の損であれば受け入れています。しかし傷つきたくないという思いが強ければ、少しの損をすることにも異様な執着が生まれるというのも、有り得る話ではないかと思います。


私はどうするべきか 


私はカウンセリングの訓練を受けていませんし、今書いたことも、素人の憶測に過ぎません。

治療的介入のようなものではなく、同級生としてのやり取りの範囲で、まだ若いAさんがよりよい道に行けるよう、私に出来る範囲のことはやろうと思っています。


  • 緊急性が高かったり、人助けの範囲と言えることでさほど負担が高くないものであればやる
  • それ以外は頼まれても断る
  • 今後に繋がりそうな事があればそれを提案する(まずは自分で解決を試みるよう言うなど)