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marimoの”夢を叶える日々”

ライフスタイルコーディネーターmarimo(フードスタイリスト、薬膳料理研究家)のライフスタイル公式ブログです♪
『くらしのこよみ 七十二候の料理帖』好評発売中!
The happy life and dream come true!
Produced by Life style coordinator marimo.

宮城県に行った際に、せっかくですからと、兼ねてから訪れてみたかった

宮沢賢治のふるさと、岩手県花巻市イーハトーブへ。

幼少期から、この宮沢賢治が描く不思議な世界が大好きで、
はじめて読んだ本は「注文の多い料理店」。



そのまさに「注文の多い料理店」である、「山猫軒」という、宮沢賢治記念館に隣接してる。
http://www14.ocn.ne.jp/~waildcat/yamanektenpo.htm



入口には、
「どなたもどうかお入りください 決してご遠慮はありませんびっくり猫




「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたしますびっくり猫



そして、店内に入ると・・・

ビン 壺の中のクリームを顔や手足にすっかり塗ってくださいびっくり猫
塩 どうかからだの中に壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでくださいびっくり猫


その下には、塩 ビンが!!
 


「注文はずゐぶん多いでせうがどうか一々こらえて下さいびっくり猫



皆様、ご存じのとおり、この「注文の多い料理店」は、
「来た客に西洋料理を食べさせる店」ではなく、
「来た客を西洋料理として食ってしまう店」を意味していて、
まぁ、こんな感じでしょうか・・・黒猫


 

で、西洋料理店ということで、私のイメージするのは、洋食だったのですが、
この山猫軒。

西洋料理というか、イーハトーブふるさとの味ということで、和食が多く(^▽^;)
ちょいと、洋食モードになってたので、ナポリタン 定番ナポリタンを注文。

ここに訪れるお客様は、子供が少ないのかしら。。。
私のような宮沢賢治の世界のファンも多いかと思うのだけど。。。

やっぱり、あの演出の延長線上には本の世界をイメージした

もっと不思議な世界な感じの洋食メニューがほしかったなぁ~


アリスやジブリのようにキャラクターが描かれているわけではないから難しいのかなぁ。。。


余談ですが、イーハトーブについての説明として、

童話集『注文の多い料理店』広告ちらしによる説明 [Wikipedia]

賢治が生前に出版した唯一の童話集である『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章には、「イーハトヴ」について以下のような説明がなされている。この広告文自体は無署名だが、内容等から賢治自身によるものと推定されている。

「イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。」

なお文中に出てくる「大小クラウス」はアンデルセンの『小クラウスと大クラウス』、「少女アリス」はルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』、「テパーンタール砂漠」はインドの詩人タゴールの詩篇「旅人の国」「渡し守」、「イヴン王国」はレフ・トルストイの『イワンのばか』からの引用である。


どうやら、私の不思議好きは、宮沢賢治とアリスでつながった・・・



腹ごしらえもして、目的の宮沢賢治記念館へ。
とても紅葉が美しかったです。

平日ということもあり、人もまばらだったので、ゆっくりと観ることができました。

記念館内にある喫茶室は、一面、窓ガラスで、見事な紅葉が一番の絵画とも言える自然の美しさを感じることができました。

なかなか写真では、伝えきれないけれど、これは、やはり行ってみて、感じてほしい形式です。グランドピアノのところに猫が・・・にゃぽっ♪


花巻の丘を見下ろす風光明媚な空間が広がります。



山いっぱいに紅葉のピークを迎えていたお庭に・・・



下からモミジ紅葉黄色紅葉と、
自然が作り出す見事な紅葉のグラデーションの木がとても印象的でしたもみじ




大好きな、宮沢賢治さんの世界観の作品の私のお気に入りの一番は、

SL黒猫鉄河鉄道の夜


隣接する「宮沢賢治イーハトーブ館」で、素敵な絵はがきをみつけました。


購入した田原 田鶴子のはがきは、「宮沢賢治 銀河鉄道の夜 」の絵本作家さんです。
この本は、在庫がなく、買うことができなかったのですが、帰ってから調べたらありましたので、早速、注文。

とてもキレイなタッチで、素晴らしい絵本は、子供だけでなく、大人も夢と想像力をかき立てられます。




改めて、とても幻想的で切ない
クロネコカンパネルラとユキジョパンの物語を読み返したい。



宮沢賢治記念館
岩手県花巻市矢沢第1地割1-36 [map]
TEL 0198-31-2319

宮沢賢治イーハトーブ館
岩手県花巻市高松1-1-1
TEL 0198-31-2116


すでにブログでもご紹介したイングリッシュキャンプで、今月宮城県を訪れた際に

NYでの宮城県復興支援センターの復興イベントで、お手伝いをさせていただいた際にFさんと知り合い、帰国してからも出来ることがあればお手伝いさせていただきたいということから、今年の8月の蔵王でのイングリッシュサマーキャンプを皮切りに、今月はオータムキャンプ
参加させていただきました。

今回訪れた荒浜地区は、東日本大震災で平野部(仙台平野)としては世界最大級とされる高さ10mもの巨大津波に飲み込まれ、仙台市内に於いては特に壊滅的な被害を受けた地区です。

この大震災の現実を伝えていくためにも、被災地を直接訪問する事は私にとって大事な目的のひとつでしたし、この地で家族を亡くされた遺族の皆さまの心情を考えると、こういった写真をブログで公開するのはどうなのであろうか、と考えもしましたが、現地に住む友人からは、被災地以外からの人が訪れ、語り継ぐことが大事であると言われて、

被災地支援への関心が段々と薄れてきている事が新たな問題として浮上しつつある今の状況を考えると、やはり被災地の現状を多くの人々に知って貰う事はとても重要であるということから、以下に写真をアップさせて頂きます。

「かつて、海水浴で賑わっていた荒浜海岸。今では、防腐林の松もほとんどがなくなり、まばらに。ただただまっすぐに繋がる海岸線が、みょうに寂しく。」


「この荒浜一帯には、300~400人もの遺体が上がり、今は慰霊碑と。フェンスは、その津波の威力の痕跡を今も残します。」


ちょうど行った際に偶然、宮城県出身のお笑いタレント、サンドイッチマンさんがおりました。どうやら、地元のTV番組の収録?のようでした。


こうした活動は、日々行われているようですが、あれから1年半以上が経過し、
頻繁に起こっていた地震を体感しないと、あの時の状況、感覚というものを人というのはどんどん忘れてしまうものなんですね。


でも、忘れたのではなく、みんなあの時の気持ちになりたくないとか、
意図的に目を背けていたりすることも多いのかと。

どうやら脳科学でのメカニズムでは、
「忘れるのではなく、引き出しにしまっておいている状態」で、
それを思い出す映像などのきっかけがあり、その引き出しを開けるのだと。

実際に震災直後に盛んにテレビで放映された映像を見ると、当然のことながら恐怖感がよみがえります。

問題は、怖い怖いということではなく、日本全国、
どこでまた起きてもおかしくない大地震に備えて、危機感を持ち、そのための備え(防災意識)をしておくことが大事。

今回も荒浜地区を訪ね、多くの犠牲者と生存者の生死を分けた『防災マニュアル』についての重要なこととして、海岸線から200mとない津波で校舎が孤立した若林区の荒浜小でも犠牲者は出なかった。大橋公雄・荒浜新町町内会長は「津波を警戒し、集まった避難者を体育館に入れずに全員校舎に上げた。2~3分後に波がきた」
これは、地震前に津波を想定して、マニュアルを改定したからこそ生存する事ができたということ。

「かつて住宅が建ち並んでいた場所津波に襲われる前は一戸建ての住宅が軒を連ねていたそうですが、ご覧のように今は住宅の基礎部分が残るのみです。お話を伺うと、津波の直後からだいたいこの状態だったとの事なので、津波が引いた後でがれきが撤去されてこのような光景になった訳ではなく、この辺りにあった建物はほぼ全て、津波により根こそぎさらわれてこのような状態になってしまったようです。今では海岸まで、視界を遮るものは何もない状態。」


「基礎しか残されていない、住宅で、この秋にどこからか飛んできたタネから咲いたと思われるコスモスをみつけて、その生命力の強さに感慨深い想いがありました」

建物が根こそぎ流されるくらいですから、当然電柱も、大半が折れたり流されたしており、ここに並んでいる電柱は、いずれも津波の後で立て直されたものです。こういった電柱以外、何メートルもの高さがある人工的な構造物は、荒浜小学校の校舎・体育館以外、見渡す限りほぼ皆無でした。


荒浜地区の川向こうの名取地区へ。
震災前、かつて、ここに鳥居がありまいしたが、根こそぎ流され、仮の木製のお鳥居が祀られていました。


「現地のボードに掲載されていた震災直後の写真と、現在の仮の神社」


「津波による被害を受け、漁業関係者がまたこの地に帰り、活動して行く為に津内よりも若干高く約3~5m、地盤を上げる工事をすることが決まったそうです。この写真は、今よりも地盤が上がる事を模したもの。」



このような場所を遠方から来る人を案内するべく、宮城県復興支援センターが、今年の秋に”語り部タクシー”という事業を立ち上げました。

このタクシーは、宮城県内から乗車する事ができます。

最後に、
辛くて悲しい出来事は、思い出したくない事も事実で、私自身の経験として、父の十三回忌の法要の際に和尚様がおっしゃっていたのが、とても印象深く、とても心の整理をつけるきっかけになった言葉をご紹介したいと思います。

「亡くなった魂が成就し、生きている人の日々営みが、原点に戻る期間として、仏教においては、さまざまな回忌があり、この十三回忌は、様々な事が一巡し、ものごとの整理が出来る。つまりは、癒される(心の整理)」

自分の身に肉親の死などを経験しますと、想いが強いだけになかなか整理が出来ないですが、この言葉により、私自身は様々な想いやことがらを”許すこと”を許可されたような気がしました。

私は特に宗派に属してはおりませんが、この素晴らしい教えは、それぞれの想いを癒す言葉の一つなのかなと思います。

混沌とする日本経済と言われますが、日本人はとても気持ちが優しく、人への思いやりが強い国民性だからこそ、やさしすぎて、ちょっぴり弱いメンタルもありつつも、いざとなれば本領発揮!とばかりに芯が強いと思います。

生意気ですが、私が思うのは、
これからもそれぞれが、出来る事をしていくことが一番の支援
になるのではないかと思います


語り部タクシー
「語り部タクシー」とは津波の被害が大きかった仙台港周辺や仙台市若林区荒浜地区、名取市閖上地区、仙台空港周辺などをドライバーさんが震災直後の様子や復興の進行状況、震災の教訓などを乗客に「語り部」となって伝えていくという取り組みです。

養成講座で認定証をもらったSさんのコメントで、
「震災が風化しないよう多くの人に語り継いでいきたい。沿岸部の場合、地震が起きたらすぐに高台へ逃げるという防災知識をお客様に学んでいただき、被災地のことを真剣に考えてもらえるような案内を心がけたい」と。


河北新報
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