中世の日本で占いは欠かせないものだった。
占いが重視された時代背景に迫る。
中世・室町時代の上流社会では、不可思議なことや困りごとを占い師に相談して占ってもらうのが解決方法のひとつだった、とのことです。
中流公家の山科教言(ヤマシナノリトキ)が残した1405年の日記「教言卿記」には、陰陽師に行事の日にちを決める占いを依頼したり、盗人が入ると誰が犯人かを占ってもらったりしたと書かれているそうです。
後醍醐天皇の『建武年中行事』には天皇の状況を神祇官が占うと書かれ、『古事記』や『日本書紀』には鹿の骨を使った吉凶占いがあったり、亀の甲を使った占いの方法もあったそうです。
著者は当時の記録・日記などから占いの種類や方法、陰陽師の占いと神祇官の占いの違い、どれぐらいの的中率かなどを調べ述べられています。
源頼朝には専属の祈祷師が仕えていて、敵を討つ日時を占っていたとか。怪異があるとどんな意味なのかを陰陽師に占わせていた。多人数の陰陽師に占わせたので、当たっても外れても責任は分散されたらしいです、なるほどねえ。
室町時代になると占いは、易占いがメインになり、戦国時代の武将たちも易占いに信仰に近い熱意があったという。「籤引き」で神意を問いこともあったらしい。
日常生活での悩みや迷いを解決する方法が見つからないときに占うなど、目に見えないものの力を信じる限り、占いは存在しつづけていくと結論されています。
今でも暦を見て日柄の良い日を決めたりしますし、占いの種類もバラエティーにとみ、当たるから今も人気があるのかもしれません。依存性がありそうで、そこが少し気になるところです。
みんな悩んで最後は占いに頼った!ということでしょうかね。

