三河吉田藩の参勤交代の行列が江戸を出発した
古文書から読み解く参勤交代のリアル
1841年、三河吉田藩7万石の若殿様・松平隼人正信宝(ノブトミ)18歳が、藩主の世継ぎとして江戸からお国入りした参勤交代について書かれています。7泊8日の日程を仕切った吉田藩士の大嶋左源太豊陳(トヨツラ)通称・左源太が詳しく残した記録を解説しています。*くずし字も原文も出てきません
三河吉田藩とは、現在の愛知県豊橋市あたりの地域ですね。
信宝は病気の父の名代として、初のお国入りします。そのマネジメントしたのが左源太です。今回の参勤交代は6月の予定で2月から準備に入っていましたが、いろいろ予定変更が重なりごたごたします。
旅のスケジュール、宿泊地、宿泊代、お供の人数・規模など決めることがたくさんあります。行列用の人材を派遣してもらい、宿泊地の手配して出発日を6月2日に決めますが、幕府からの許可が遅れ26日に順延。が、信宝の叔母が急死したため忌明け後に延期。7月中には出発したいが‥
いよいよ7月18日お国入り行列出発。行列の人数は300人超え、その7割が臨時雇いの渡り者。道中に病気になったり、亡くなってしまったり、他藩の参勤交代と重なったり、予定通りに進まずトラブルも多いらしいです。
1日の移動距離は40㎞くらい。山を越えるときなどは人数を減らし20人ほどのお供だけ。人目の多い場所だけ大人数の行列で体裁を整えたようです。
準備が大変だし、体力もいるし、お金もかかるし借金を重ねることになるとか。参勤交代は軍事パレードみたいなもので、藩の威厳や権威を誇示する目的もあったんでしょうね。
著者の久住祐一郎さんは豊橋市美術博物館の学芸員だそうです。古文書を解読できるってすごいです。まだまだたくさんの古文書が保管され「お宝」であると言われ、日々古文書の山と向かい合っているそうです。
三河吉田藩の参勤交代での若殿初のお国入りを、わかりやすく工夫して説明されていて、旅のしおりのようです。

