古きをたずねるシリーズ&ゆるスピ活番外編紅葉

 

案内板を見てはじめて

古墳があることを知りました。

この年まで生きてきて気がつかなかったとは情けない。

 

 

民家が建ち並ぶ住宅地にあり

公園のモニュメントかと思い今まで見過ごしていました。

 

土を盛り上げただけの小山とながめていたら

墳径82m噴高10mの円墳だったのです。

周壕巾10mを囲むように

立入禁止の柵がめぐらされ

柵の外側が遊歩道になっていました。

 

 

木々も疎らな、何ということもない雑木林

住宅地の中にある小さな公園の様相ですが

古墳だったのかあああ

 

つい、なんとなく

ぐるぐる二周してしまいました。

哀しそうな眼をして

遠くを見ているような気配があるような、ないような。

 

昭和初期の調査で

古墳から発掘された埴輪や円筒は

第二次世界大戦の戦火で焼失。

戦時中は陸軍の高射砲陣地が造られ

樹木が伐採され墳頂部を削られてしまったらしい。

墳頂部には祠や鳥居があったとか

(祠を撤去したのはヤバくないのか)

戦後の混乱時には墳丘が掘り荒らされたという無残さに恐れを抱く。

 

 

のちに植林し公園として整備されたとのことなので

古墳が築造された当時の面影は残っていないのかもしれません。

5世紀半ばころの古墳のようで

当時の有力豪族といえば物部氏、その関連なんでしょうかね。

信長の時代には家臣の佐久間氏が

このあたりを支配していたそうですが

古墳時代のことは謎。

 

見えるものも

見えないものも

すべてを失くしてしまった哀しみのようなものだけが

行き場もなく静かに漂っている、そんな感じの場所。

 

いっそのこと

すべてを壊し、無となり

新しく生まれ変わりたかったのかと思いましたのです。