お二人の愛に溢れたワークショップ。
楽しかった。
紅月さんがのっけからこう言った。
「本日のメンバーを見たら、皆さんのお父様、お祖父様、ご主人様からの想いがやってきました」
私はそれを聞いた時に昨年10月に亡くなった母ではなくて父?とキョトンとなった。
私のことじゃないな、と思っていたら父が出てきているらしい。
私のことを想っていてくれていることはすごくうれしい気持ちになった

両親には感謝しかない。
腹の立つこともたくさんあった。
なぜ、私をわかってくれないんだと。
父が3年前、そして母が亡くなった今、感謝しかないのだ。
私の中ではそこにフォーカスしないようにしていた。
だからありがたい。
勉強会の受付で籤を引き、最後に籤に書いてある番号の書かれた封筒を手にする。
感想アンケートを書いた最後に「感謝」と書いた。
私の引いた籤のピンクの封筒を開けてみると
【感謝】と書かれたハガキ大のメッセージが。シンクロだな。
お部屋に入ると紅月さんは、
「勉強会の時に万里凛さんの着ていた黒いジャケットの後ろの刺繍が素敵で私も欲しくなりました」
と言われるのだが、あの上海灘のジャケットの背中に刺繍などない。
裏地?ブランドネームのこと?
それなら、赤い地に黄色の刺繍でシャンハイタンと英語で書かれているだけだ。
鑑定が始まった。
「日本文化に馴染めない、西洋の文化が長い、そして中世」
それらのキーワード。
馬車の中から外を覗く男性。12〜13世紀。
マリーンかマイーン?という名乗る預言者。
※後に調べると魔術師マーリンのことと思われる。
その子どもも出てきて、形の違う石が並んでいると絵を描いて説明をしてくれた。
その横にパワースポットと書き、ストーン‥‥‥、Englandと言う。
まさか、あのストーンヘンジ?
JUJUさんのツアーに出てきた名前だ。
ストーンヘンジ
慌ててスマホでググって
紅月さんにその画像を見せると、ああこれですと
2年後が分岐点になる。
60歳〜
私はもう随分前から思っていた。
還暦を迎えた時、何かが大きく変わろうとしていると。
だから、そこに向かって今から準備をせねばならないのだ。
長い戦争で、国の陰謀で捕虜になり、19歳で火焙りにされて亡くなった。
名前は「‥‥‥ダルク」
大天使ミカエル、ウリエルやガブリエルに啓示をもらっていた。
女性なのに男のような格好をする。
鎧、戦士。
私の黒いジャケットの背中にあった刺繍というのはこの柄だったという。
聖ジャンヌダルク Janne d’Arc (1412-1431)
100年戦争の時代に翻弄され悪魔崇拝者、神の冒涜を犯したものとして火刑に処された少女。
フランスのロレーヌ地方の農家に生まれる。
1425年、初めて「声」を聞く。聖女カトリーヌとマルグリット、そして大天使ミカエルが「ヴォークルールの守備隊長ロベール・ド・ボードリクールに会い、オルレアンの包囲を解いてフランスを救うように」と告げた。
彼女の聞いたお告げを信じた時の王太子シャルルは、イングランド軍に包囲されていたオルレアンに彼女を送り込む。
ジャンヌは仲間の兵隊たちを鼓舞する役目を堂々と果たし、戦闘に於いては進んで危険な突撃を敢行した。ジャンヌの鼓舞により、オルレアンの兵隊たちの士気はいやが上にも上がり、翌月、イングランド軍は撤退しオルレアンは7ヶ月以上にわたる包囲網から解放された。
その後ジャンヌは複雑な政治情勢や王と顧問官達の陰謀や駆け引きの犠牲となり、ルーアンのブーヴルイユ城に監禁される。18歳。
ジャンヌは異端審問裁判にかけられ、悪魔崇拝や神の冒涜を犯した異端者であると結論づけられた。
その後ルーアン市内のヴィエ・マルシェ広場で火刑に処された。当時19歳。
後にナポレオンに評価されたためフランス全土でジャンヌ・ダルクの知名度が高くなり、多くの文学・芸術作品のモチーフとなった。
紅月さんはここがまだ残っているから行かれた方がいいですと。
異端審問裁判期間にジャンヌが監禁されていたルーアン城の塔。後に「ジャンヌ・ダルクの塔」として知られるようになった。
まさか、私が??
紅月さんは、私の大好きな妖怪人間ベラの姿まで描いてくれたのだ。
それは驚かずにはいられなかった
首がポイント。
ゴールドのネックレスをすると良い。
ラッキーカラーは、青、赤、黒、ゴールド。
ジャンヌ・ダルクが火焙りにあったのが19歳。
私のターニングポイントは、19歳、33歳、60歳なのだと言う。
19歳というのは、私が離婚を決意した時だった。
これがどういうことだか頭が混乱するが、私は潔いジャンヌ・ダルクに憧れていた。
魔術師マーリンが守護霊様だとは‥‥‥
引っ張っていく何かのお役目らしい










