my foot steps part10 | 永井真理子オフィシャルブログ『永井真理子 HELLO!!』 powered by アメブロ

my foot steps part10

こんにちはビックリマーク
きっと日本は寒いんでしょうね
オーストラリアの今年の気候は
何だか少し変で
長く雨が降ったり猛暑が続いたりと
今ひとつ安定していません
息子は体調を崩してしまいました汗
私は元気なんですが....

皆さんも体調には気をつけて下さいね

さて、ヒストリーも今回で10回目になりました
デビューまでの事を綴る予定でしたので
次回で最終回....かな....?
大詰めって感じです

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mariko nagai footsteps 「東京生活」



私は高校を卒業して短大の保育科へ進学しました
進路を決める時期に父が病気だったため
母を助けられるように地元で美容師になることも
考えていたのですが
母が...
「あなたは高校生の時に外の世界をあまり見ないで
暮らして来たのだから、もっと世の中のものを
沢山見てから自分の生き方を選びなさい」
...そう言ってくれたのです

確かにその時点では何をやっていいのか
まだ決められなかったのです
ただ子供の面倒を見るのが大好で
将来保育士になりたいとも思っていたので
その道を選択しました


初めての一人暮らし

私が東京で最初に住んだのは
「沖田荘」という2階建てのアパートで
1階に大家さん(沖田さん)が住んでいました

築50年は軽く超えているのではないかというルックス
鍵は穴に棒をねじ込むだけの超オールドタイプ
トイレは共同(水洗ではありません)
もちろんお風呂無しなので銭湯通い
線路のすぐ横なので
電車が通る度にものすごい雑音と揺れ

しか~し!
家賃は公共料金込みで「16000円!!」
東京では破格に安い家賃でした
バイトをすれば何とかやっていける....
そんな安さの魅力に飛びついてしまいました

同じ短大で一人暮らしをしている
女の子のほとんどが
冷暖房付きマンションに暮らしており
私とはかなりギャップのある生活をしていたようですが
その辺は気にしていませんでした

夜になるとネズミさん達が天井裏で運動会

だ、だ、大嫌いなゴキ?リ君達と
毎日のように戦い続け

網戸のない部屋で過ごす夏は地獄で
一晩で50カ所近く蚊に刺されて
病院に行った事もありました

お金が足りなくて銭湯に行けなかった時
自動販売機の下をほうきで掃いては
小銭が落ちていないか探したりもした

食費節約の為に
銀行でもらった貝割れ大根の苗を
育てて食べたりもした

おしゃれにお金なんか使った事なかったけど
そんな事どうでも良かった
とにかく「やりたいこと」や「夢」を
探すのに必死だったから


音楽が出来る環境

上京して来てこれだけは絶対にやる!
そう心に決めていた事がありました

音楽活動...

これをやらない限り
保育士にも美容師にもなる決心がつかない

その準備はちゃんと進めていました
高校時代の友達のお兄さんが(Hさん)
大学の音楽サークルに所属してたので
そのコネクションはしっかり取っておいたのです

中央線の水道橋にある
中央大学のサークル「フォークロック」
に入れてもらう事になっていました

「まずは顔合わせがあるから...」
と言われ居酒屋に連れて行かれたのですが
思わずびっくり...
ものすごい人数の部員がいたのです
70~80人くらいかな?100人いたかな?

かなりビビっていた私にHさんは
「この飲み会の間にどこかのバンドに
入れてもらえる様に頑張るんだよ」

そう言うのです。

えー? なんか恋人紹介クラブの
パーティに来たみたい...

「頑張るって...一体何を?」
「お酒のお酌なんてしたりしながら
お近づきになる...とか?」

「私には出来ない...っていうかイヤだ..」

私は完全に固まっていました

そんな姿に見かねたのか
Hさんが...
「ここはいいメンバーがそろってるんだよ..」
と言ってあるバンドを紹介してくれたのです

「WIZARD」と言う名前のバンド...

この出会いが
私の人生を大きく変えることになるのです

このバンドはポップス系の楽曲を中心に
活動をしていて
ボーカルの女性がとても上手で
サークルの中でも評価が高かったらしい

ただ..もうメンバーもそろっていて
私の入る隙間はなかったのです

しかし、そのバンドのリーダーが
私を可哀想に思ったのか
ただ酔っぱらっていたのか
私をそのバンドのコーラスとして
迎えてくれたのです

そこからはとにかく音楽一色という感じでした
からからに乾いたスポンジが水を吸い込む様に
私は音楽にはまっていったのです

途中でメインボーカルだったYさんが
音楽性の違いを理由に辞めてしまい
いつの間にか私が一人で歌っていました

歌いすぎて声が潰れようが
大声で練習してアパートの大家さんから
怒鳴られようが...

バイトのお金もほとんどスタジオ代に当て
ひたすら歌い続けました
完全に音楽に恋をしてしまったのです

最初は「夢中になれるものが見つかった..」
そんな喜びで楽しかったのかもしれません
でもいつの間にか
なくてはならないものになっていたのです


私だけが本気なの?


私はこのバンドでデビューする事を
本気で夢見る様になっていました

なのに...
短大の1年生が終わる頃
バンドのメンバーが
「俺、就職決まったんだよ」
と結構嬉しそうに言うのです

私は頭をハンマーで殴られたような
気持ちになりました

「このバンドでデビューしよう」って
いつか言ってたのに....

私だけが本気にしてたの?

皆にとって音楽はただの青春の思い出なの?

ショックと同時に怒りも込み上げて来て...

「絶対にこの夢叶えてみせる!」
そんな気になってしまったのです


私の中の勇気...

その後バンドは解散してしまったのですが
それまでに繋いで来た音楽仲間に
助けてもらいながら
「One step closer」を初め
合計3曲入りのデモテープを
作りました

そして勢いの止まらない私は
そのデモテープをレコード会社「FUN HOUSE」
に自分の手で持って行ったのです

プロとしてやってゆくことに
執着していた訳でなく
とにかくやれることはやっておきたかったんです
この気持ちに決着をつけたかった...


私の夢を積んだ心の観覧車は
もう動き出していました...


To be continued

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「ダーリングハーバー」というとても奇麗な場所で
この前観覧車を作っている所を見かけました
未完成の観覧車を見るのは初めてで
何だかワクワクしてしまった...
写真..ちょっとピンボケしてますが汗

観覧車