凍えるほどの寒さが心地よく感じた。東京ドームの四方八方にあるゲートの中の11番。人の流れに遅れないように早歩きでステージ下手側のアリーナ席の端を目指してドキドキしながら席に辿り着いた。そこにはシックな大人たちが並び私は固唾をのみ身動きが出来ずにいた。

昨年から度々訪れる東京ドーム。寒風吹きすさぶ中を当日券を買い求める人々の長い列に驚いた。なぜならば若者ではなくミドルシニアからシニアの男女だったからだ。しかも背筋を正し賢そうな大人たち。まだまだ日本は捨てたものではないと嬉しく元気がでた。

1986年から1988年まで甲府の高校生の時は特に影響され聴いていたビリー・ジョエル。あの時の容姿とは違い、スキンヘッドのおじさんになりお腹も少しでたが、艶のある低音も張りのある高音もシャウトする激しい切れのある唸り声も全く衰えを感じさせず、まさにゆとりあるその年齢ならではの大人の格好よさを彼に感じた。74歳のビリー・ジョエルと、またその彼の作品を愛する人々と同じ時と空間を共有でき、最高の幸せを味わえた。今回のチケットは発売した途端、即完売になるプレミアムな一夜限りの贅沢コンサートであったようで、頼りになる友人のおかげで、おそらく2度と日本では鑑賞できないビッグコンサートに赴くことができた。心から感謝申し上げます。

16年ぶりの10回目の来日だそうで、「サンキュートウキョー!最後まで楽しんでください!」の挨拶からそこかしこに日本語サービスをしてくれた。ピアノを弾く指が3面の大きなスクリーンに映し出されたが度々ズームアップされ、毛深く太い指に、数々の情熱溢れる作品の創作の歴史を感じた。また力強いタッチに痺れながら、ガムをかみながら興奮して違う場所を噛み、実は口の中が血だらけになり、「あ、あたし物凄く興奮してるんだわ」とモグモグしながらそんな不様な自分に思わず笑いがでた。
「マイ・ライフ」からスタートして一連のグラミー賞5作品はじめ、世界的ヒット26曲をほぼ休憩なしで一気に歌いきった脅威の74歳。「アップタウン・ガール」で会場はダンシング💃「オネスティ」、ラストに近づき流石のビリーさんも「フ~」と大きなため息をつき、呼吸を整えてからハーモニカを準備。「ピアノ・マン」のイントロを弾いたところで4万4000人の大歓声。大合唱。

年齢はその人の生き方が決めるものなのね。あらためてビリー・ジョエルはじめ、魅力たっぷりの素敵な人々に囲まれ感動する時間になった。

会場の外にあるビリー・ジョエル氏の等身大のパネルと長蛇の列に並び撮影ができた。光栄の極み❣️ありがとうございました。2024年1月26日 清水まり子

能登半島地震の応援もしようと能登の食事処へお邪魔し、悲喜こもごもを考えながら4年前の2019年の清水まり子25周年でお世話になった旅館「のと楽」を思いだし複雑な気持ちになった。