嫁ぎ先に恵まれ穏やかな13年間でした。私が母を早くに亡くし、寂しい思いをしているだろうからとその分、さりげない愛情をそそいでくれた義母。元は女医だったので痴呆が入ってからは私は患者扱いでちょっぴり戸惑いも感じましたが、優しくて温かい日々でした。質素で堅実な母で、昭和3年生まれなので、戦前、戦時下の話しはよく教えてくれ勉強になりました。

昨年の暮れ前から誤嚥を度々おこし、心配な年越しではありましたが、こんなにスッキリあっという間に逝ってしまうなんて…亡くなった翌日に通夜、告別式になり、あれよあれよという間に家族葬のセレモニーも終了。山梨の父もトントンダッシュのように斎場にあらわれ風のように消えていきました。兎に角、早いスピードで、私はその空気に乗り遅れそうなくらいで、通夜はジャケットを忘れ、斎場の女性の服を借りるくらい気が動転していました。

「真理子さんが用意してくれた迷子札は欠かさず身に付けているわよ~」と母。どんな時も冷静で知的な女性でありました。

義妹のおかげでシャンパンゴールドの靴👞に明るいステッキを持ち、若い頃の登山で鍛えた健脚で毎日の散歩もかかさなかったので、95歳まで元気で老衰のピンピンコロリの範囲に入る状態で逝ったと思います。我々家族に何の手間もかけずに旅立っていきました。

台所でエプロンをつけ、並んで調理した時間は忘れられない温かい思い出です🍳🔪🎽

政治、経済の話が得意で私はちんぷんかんぷんでした😚

義母の実家は千葉県市原市折津。

養老渓谷が程近く、のどかな田舎🍃

小湊鉄道の春に咲く黄色の絨毯のような菜の花の風景が大好きで、四季折々の故郷の素晴らしさを折に触れ嬉しそうに説明してくれました。


下記は義父。解剖医と歯科医の医師免許をとる人でしたから猛勉強が大好きで亡くなる直前まで漢文の小説を病院のベッドでも読破していました。私の誕生日には新宿の高野フルーツパーラーで名前入りのケーキでお祝いしてくれて本当に嬉しい思い出になりました🕯️🎁🎂

優しい義父母ともに両親が逝ってしまい、とても寂しいです。


昨年の夏☀️私の歌にあっけにとられながらも元気でした。



生きている時間は限られている。

温かいものを食べて元気に頑張るしかない✊

色々ある毎日ですが、皆さまも体調にご留意なさり、今を精一杯楽しみましょう❄️⛄清水まり子