嫁ぎ先に恵まれ穏やかな13年間でした。私が母を早くに亡くし、寂しい思いをしているだろうからとその分、さりげない愛情をそそいでくれた義母。元は女医だったので痴呆が入ってからは私は患者扱いでちょっぴり戸惑いも感じましたが、優しくて温かい日々でした。質素で堅実な母で、昭和3年生まれなので、戦前、戦時下の話しはよく教えてくれ勉強になりました。
昨年の暮れ前から誤嚥を度々おこし、心配な年越しではありましたが、こんなにスッキリあっという間に逝ってしまうなんて…亡くなった翌日に通夜、告別式になり、あれよあれよという間に家族葬のセレモニーも終了。山梨の父もトントンダッシュのように斎場にあらわれ風のように消えていきました。兎に角、早いスピードで、私はその空気に乗り遅れそうなくらいで、通夜はジャケットを忘れ、斎場の女性の服を借りるくらい気が動転していました。
「真理子さんが用意してくれた迷子札は欠かさず身に付けているわよ~」と母。どんな時も冷静で知的な女性でありました。
台所でエプロンをつけ、並んで調理した時間は忘れられない温かい思い出です🍳🔪🎽
生きている時間は限られている。
温かいものを食べて元気に頑張るしかない✊