おはようございます。

「童謡を通して社会を視る」の夏季集中講義を

受け、思い出したことがあった。


実は私、童謡歌手にならないか、

と10代の頃から、

お声がけを頂いていた過去がある。


なぜなら上記のレコードのシリーズは

17歳から、30歳になる手前まで、

主に学校の音楽教材の歌を

約15曲ほど唄い、

レコーディングが通常の仕事のひとつでも

あったからだ。


お遊戯・運動会に流す定番の曲に

清水まり子の歌があり、

頻繁に使われていると

保育士や教師になった友達から

現場の嬉しい声を聞いていた。


とりわけ人気があったのは

“太鼓”にかかわる気合いの入る歌。

杉並児童合唱団の子供達と元気に唄った歌。

バチを使う振付で子供達が踊る新舞踊。


後の「父娘坂」や「流れて津軽」、

「雪哭き津軽」のスタッカートの

滑舌良い歌唱法に繋がったのも

育った土地の甲州弁の影響もだが、

この頃の歌唱経験が

相当に生きていると思う。


「歌のおねえさん」の募集に

何度もレコード会社の方から

お誘い頂いたが、

当時、演歌の稽古にも真剣に通い、

バブル景気という時代背景も重なり、

現場では演歌の仕事が多いのと、

すぐに環境を変える程の器用さは

持ち合わせていない性分で

気が付いたら、そんな話も流れ、

いわゆる演歌歌手が本業になっていった。


今、振り返れば、「およげたいやきくん」の

子門真人さんから、

今の走りである“アニソン”の大先輩まで

スタジオでは華やかな人々と

常にご一緒させて頂いた。


あの頃のレコーディングの

オープンリールが巻かれる音と、

スタジオの活気に満ちた雰囲気は

今のスマートなやり方と違い、

思い返すとノスタルジックな

気持ちになる。


学生時代、甲府から東京・赤坂見附は

溜池の東芝EMIビルのスタジオに、

制服で通う日々が、

上京前の1986年から1989年まで続いた。


当時、1982年(昭和57)に大火災がおきた

「ホテル  ニュージャパン」が

燃えたままの状態で放置されており、

周辺のキナ臭い道を、

息をとめて足早に歩いたことも

今思えば、懐かしい思い出のひとつ。


童謡と唱歌の違いは何か。


時代の変化で音楽文化状況も大きくうねり、

今はシニア団体が童謡・唱歌を唄い、

子供達はピカチュウ音頭やアンパンマンの歌、

少し前だとパプリカや、散歩、

アニソンかテレビの主題歌が

時代の顔になっている。


本当に若い頃から
歌と共に、社会を歩ませてもらったのだな。 

様々なことを歌を通して経験し、
味わえた歳月に心から感謝しています。


(上記、昭和64年から平成元年に年号が
変わって直ぐに高校卒業し、上京。
故郷「山梨県」でコンサート開催時の宣伝が
“山梨日日新聞に掲載📰”)
全国各地の高齢者施設へ慰問。
持ち歌に加え、
童謡、唱歌、軍歌も歌唱。
人々の「こころのふるさと」が
どこにあるのか、を現場で唄いながら
痛感でき、貴重な経験を頂いた。
これらの恵まれた経験をもとに、
今後も社会に役立てるように、頑張ります!
引き続きお気をつけて、
8月末をお過ごしください😊
          Mariko