地震。 | 脊髄腫瘍と暮らす生活

脊髄腫瘍と暮らす生活

2009年12月に頸髄髄内腫瘍の摘出手術を受けました。
手術前・入院・退院後の生活を書いています。


昨日の大きな地震では、私の住む地方は震度3だったらしい。


でも、体感だと震度4くらいあったんじゃないかと思っていました。


揺れている時間が長く感じたし、余震もたくさんあって、停電になりました。




地震が少ない地方ではないし、初めはこんなに大きな災害になるなんて思わなかった。


宮城に住む知人とは連絡が取れたり、取れなかったり。




ニュースで被害の大きな地域の災害状況を確認するたびに驚き、恐ろしいと感じました。




停電は、地震直後の午後3時くらいからで、復旧する見通しは立たない、とのことでした。


私は職場にいましたが、全ての業務を停止し、関連会社の経営する有料老人ホームの手伝いに行きました。


停電しているので、エレベーターが使えず、入居者の方々の食事を職員全員で、階段でバケツリレーのようにして運びました。


その数130ほど。


非常用の電源はあるものの、数時間しか持たず、電気工事会社の発電機を待つこととなりました。


その間、市内に懐中電灯などを買いに走り、電気のつかない暗いホームセンターの列に並んで必要物品の購入をしました。


市内の信号も消えていて、交差点は譲り合いながらの運転。



電気が復旧しないまま夜を迎え、私はとりあえず帰宅したものの、余震も続いていたので、服を着たまま、コンタクトを目に入れたまま就寝しました。


いつでも、避難できるように、そして、いつでも有料老人ホームにかけつけられるように。



朝になり、再び入居者の方々の食事を運ぶため、出勤。


市内の一部では朝の6時くらいから電気が復旧し始めていたようです。


大きな病院を優先的に。そして、その近所のエリアが復旧していたとのこと。




職場についてからは、カセットコンロでお湯を沸かしたり、2階・3階は水道が使えないため、1階で洗い物をするのを手伝ったり。



昼食の配膳の手伝いをした後くらいに、自分の体調が悪くなってしまい、一度帰宅。


自宅で1時間ほど休んでいると、会社から連絡がありました。



「電気が復旧したら、PCの作業はすぐにできるのか?」


との問い合わせ。



うちの会社では、入居者の生活のためのスケジューリング・記録を全てサーバーを介したソフトで行っているので、単に電気が復旧しても、サーバーが稼働していなければ、その作業ができません。



「では、復旧したら連絡する」


とのこと。




それからしばらくして、母の声。


「電気がきたーーーーーー!!!」



自宅と職場は少し距離があるけれど、きっと、職場ももうすぐ復旧する!と思い、家から飛び出て職場へ。


職場に到着した途端、携帯が鳴り、復旧のお知らせ。



すぐにサーバーの再起動をし、動作確認。


大丈夫。使える。



サーバーの管理をお願いしている業者さんとは連絡が取れなかったので、トラブルなく復旧できてひと安心。



いろいろな後片付けをして、帰宅しました。


帰宅する時には、全ての信号が稼働していました。



まだ、余震の恐れもあるし、油断できないけど、とりあえず終息・・・。




被害の大きな地域の方々は、まだまだ不安な時間を過ごさなければならないと思うと胸が痛みます。


ニュースで、どこかの老人ホームが倒壊した、と聞いて、そこの入居者の方々はどうしているんだろうと心配でなりません。




とりあえず、このまま大きな揺れがなければ、明日は休めそうです。


月曜日からは、入居者の方々、そして従業員のみんなにも平常通りの生活・業務を行ってもらうためにも、休養をとって、頑張りたいと思います。




自分でできることを精いっぱいやらなければ。


なんだか、支離滅裂な内容ですが、今日の記録として。